THE FATES

6.切願(16)

 天水の食糧自給は危機的状況にあった。周辺の砂漠化は予測を上回る速度で広がり、耕作できる土地は徐々に減っていた。
 二枚貝の口がわずかに開いたような岩盤の上に、天水市街は成り立っていた。市街の中での耕作は難しく、防壁の外側に農地が広がっている。以前は見渡す限り、農地と牧草地だったのが、今ではもう地平線に砂丘が見える。元々雨の少ない気候だったが、この数年で半分にまで減った。地下を巡っていた水脈も掘りつくされ、枯渇するのも時間の問題と思われた。
 瞬が工場の話を聞いたのは、食糧価格が高騰し始めた頃だった。
「絆景と桟楽がその候補地だそうだ」
 営業時間を終えた店内に灯りは、卓に残された一つきりだった。
 客席と向かい合うように立つ棚の前で、仁支(にし)は使い終わった食器を磨きながら言った。
「公にはなっていない話だ。どうやらまだ調整中のようだな。反対すると思われる貴族や役人を一掃して、事後的に発表するつもりだろう。響宮(おとみや)の発案だからな、是が非でも押し通すはずだ。おかげでこっちは仕事に困らないが、こうも小さな案件ばかりだと、お前の腕もなまるだろう」
 強風で店の扉が音を立てる。瞬は渡された依頼書に目を落とした。高位の役人の名がいくつかと、その顔写真が載っていた。どれも絆景で見かけたことのある顔だ。
「役人なんていくらでも替えがいるということか。いっそ、俺が国ごと滅ぼしてやるのに」
 無造作に伸びた前髪から深緑の瞳を覗かせて、瞬は嘲笑を浮かべた。仁支は眉を下げて頬を緩める。
「その台詞、何度も聞いてるよ。出来るなら、さあどうぞ。私に見せてくれよ」
「ぬるい王家を倒しても、意味がない」
 瞬は依頼書を仁支に突き返し、卓上の灯りで煙草に火をつけた。
「で、そもそも工場ってなんだ」
「ああ、それなんだが。食糧や植物の栽培工場だよ。飢饉に備えて保管してあった数百の種子を分析した結果、人工的に生み出す方法を見つけたとかで」
「人工的って。手入れして育てるのと何が違う」
「それが違うらしいね」
「砂で作った果物でも食わされるのか」
「さあ、それが謎なんだ。その方法をもとに開発した装置があれば、何もないところからでも作り出せるそうでな。おかしな話だろう」
「おかしいどころか……」
 そこまで言って瞬は黙り込んだ。その言葉を自分の口から言うのは憚られた。口にした瞬間、自分が救われてしまう気がした。
 仁支は瞬が飲み込んだ言葉を悟り、息を潜めた。重ねた食器を抱えて背を向ける。
「まるで神の奇跡だと?」
 棚に食器を並べながら、仁支はおもむろに言った。瞬は胸中で仁支を狸と罵った。はぐらかす間合いを、わざとずらされたのだ。
「たとえば、そういうことだ」
 瞬は仁支の背中を睨みつけて煙を吐く。
「神なんて幻想だ。この天水ではな」
「そうか。私たちの一族には、創世の神が存在する。龍羅飛でもそうじゃないのか」
「さあな。忘れた」
 咥えた煙草を上下に揺らしながら、真っ暗な天井を見上げる。
「少なくとも俺は神なんて、見たことも信じたこともない」
 故郷を蹂躙されて何年経ったか、数えることも億劫になるほど、一人きりで長い時間を生きてきた。この街に地盤を築いてからは追われる身ではなくなったものの、そもそもここは馴れ合う場所ではない。王家や貴族も瞬を龍羅飛と知っていながら、利用価値を惜しんで黙認しているにすぎない。本当の自由とは程遠い。鬼使であることを放棄する未来は、瞬にはない。
 ただ、どんな猛獣も飼い馴らされれば牙を失う。今の瞬に、王家を断罪するだけの気概はなかった。
「そんな神聖な工場を、ここに作るわけか」
「もしくは桟楽にな」
「ある程度は潰れても惜しくない場所か、いっそ無くなってしまっても構わない場所か」
「まあそういうことだ。どちらにしろ市街の両端だし、足場を組んで外へ張り出すことも可能だ。建てるには好都合だろう」
「端だというなら、壁を飛び出して墓守まで行けばいいのに」
 瞬がせせら笑うと、仁支は押し黙って布巾を洗った。ざぶざぶと豪快に揉み、かたく絞って水気を切る。手を叩くように歯切れのいい音を立てて皺を伸ばすと、仁支は肘までまくっていた袖を下ろし、煙草を取り出した。彼もまた、瞬の目の前にあった灯りで火をつける。煙からは、肌が斬れそうなほど澄み切った北風の香りがした。
「そうはさせんよ」
 一族のことを話すときの仁支は、いつも厳しい。その真剣さが瞬には羨ましかった。
「お前だって、絆景の背後を王家に見張られたくはないだろう」
 相好を崩して仁支は瞬を見つめる。昔から穏やかな顔立ちをしていたが、最近は笑うと目尻に皺が寄り、一層朗らかさが滲んだ。
 なぜ彼はいつまでも自分を支えてくれるのか。瞬にはそれがずっと不思議でたまらない。いつも聞こうとしては、怖れが先走って言葉にならない。ただわかることは一つ。
 この場所だけが瞬を生かしてくれる最後の牙城だ。
「この街は、絆景は譲らない」
「だったら心配ないな」
 仁支は腹からの笑い声をあげ、小さな器に注いだ酒を一気に呷った。
「絆景の王がそう言うなら、いつまでだってこの街は生き残れる」
 愉快だと付け足して、仁支は店の奥の階段を上がっていってしまった。向こうから、灯りは消しておいてくれと声がする。瞬は仕方なく灯りを吹き消し、真っ暗になった店から外へ出た。
 冴え渡る空に、星は瞬いてどよめきを洩らす。街をさらう風は、仁支の煙草のにおいがした。