THE FATES

6.切願(17)

 夕天橋(ゆうてんばし)の中ほどからは、工場全体がよく見渡せた。握り潰した花を混ぜたような、鈍い紫色の外壁をしている。黒々とした煙突からは、白くて密度のある煙が絶えずあがっていた。
 市街の岩盤を切り取って基礎を造り、砂を固めた素材で島を築いた。天水市街の食糧や生鮮品、動植物に至るまでを一手に生み出す工場は、その人工島の上に建造され、市街とは夕天橋で繋がっていた。
 橋から下を覗きこむと、くり抜かれた大地に家と人がひしめき合っていた。道幅は人ひとりが通るのもやっとで、すれ違うたびにあちらこちらで諍いが起こる。悲鳴、罵声、嬌声、あらゆる剥き出しの声が風に乗って聞こえてきた。瞬は眼鏡の奥の目を冷たく細めて、欄干から離れた。
 響宮時代に工場の建設が始まり、桟楽周辺はにわかに活気づいた。当時桟楽には、砂漠化により土地を追われたものや、農地を失ったもの、物価の高騰により財産を失ったものなどが多く集まっていた。響宮は彼らを労働力として優先的に工事に従事させ、成果を上げたものには特別報酬を与えるなどの政策をとったのである。
 少しでも稼ぎを上げようと、労働者はみな勤勉に働き、工事は順調な滑り出しを見せた。だがこの時、労働者には知らされていなかったことがある。それは彼らが住む桟楽を削りだし、人工島を作る計画のことである。
 工事が進むにつれて気付いた労働者らは、作業を中断して抗議を行った。噂はまたたく間に国中に知れ渡り、一時は工事の続行は不可能かとも思われた。それに対して王家は、新しい土地に十分な住まいを確保すると約束し、それまでの仮住まいとして、くり抜いた場所に簡素な集合住宅を設えたのだ。響宮自らが桟楽に出向いて宣言し、その場を取りまとめた。作業員らは、それまで以上によく働いた。
 だが人工島に彼らの住居が用意されることはなかった。
 生み出された島には、工場を建てるだけの面積しかなかった。現場の指揮官は設計書を見間違えたと言ったが、王家ははなから彼らに住居を用意するつもりなどなかったのだ。
 岩盤を削って建てられた仮の住まいが、彼らの終の住まいとなった。
 防壁がなく金網に囲まれ、風の通り道になっている今の桟楽は、住居の傷みも激しかった。また仕事らしい仕事もほとんど無く、誰もが貧困と飢餓に喘いでいた。のちのち、橋や崖伝いに登れないように、棘のある杭が打ち込まれた。それから桟楽は完全に天水市街から切り離された。
 この街から自由に地上へ上がるための道はない。桟楽で生まれた者は、桟楽で生きていくほかなかった。食べ物を奪い合い、仕事を奪い合い、金を奪い合い、命を奪い合いながら、彼らは自らの血を繋いでいた。
 鉄鋼で組まれて砂岩で形作られた夕天橋は、工場からの振動で揺れていた。あまり長くとどまると、吐き気がする。瞬は眼鏡を外して工場の方を見遣った。ややすると、一人の少年が荷車を引いて工場の門から出てきた。墓守の民のもとにいた、耶守(やす)だった。彼は瞬の姿を見とめたようだが、速度を上げるわけでもなく、ゆっくりと荷車を引いた。
「こんなところで眼鏡外すなよ。下から石投げられるぞ」
 ようやく声が届く距離になって、耶守はぶっきらぼうに言った。
「巻き添え食らうのはごめんだからな」
「橋の真ん中にいれば見えないよ」
 瞬は持っていた眼鏡を耶守の胸元にさし、横に並んだ。耶守は荷車から手を離すことも出来ず、短く舌打ちをした。
 荷車には白や赤や紫の花束が積まれていた。色違いの同じ品種の花ばかりだ。他にも薄紙に包まれた荷物が、花に埋もれるように乗せられていた。
「これは?」
「店の仕入れだよ。直接取引のつてがあるから。その方が安いだろ」
「なるほど。花もそうか」
「……いや、これは」
 耶守は瞬を見上げて口を開きかけたが、顔を逸らして、それよりと話を切り出した。
「世間話をしにきたわけじゃないだろ」
「そうだな。仕事の話をしようか」
 夕天橋を渡りきったところで、瞬は耶守の服に引っ掛けていた眼鏡を抜き取り、おもむろにかけた。薄灰色の空に覆われた天水が、さらに薄暗い世界に変わる。思わずため息がもれた。
「なんだよ、聞く前からため息なんて」
「ああ、悪い」
「どうせなら聞いてからにしろよ」
「聞いてから、ため息を? だったら俺を呼びつけたりはしないだろう。自信ないのか」
「ないはずないだろ。とにかく聞け!」
 耶守は褐色の頬を紅潮させ、地団駄を踏みながら声を荒げた。瞬は声を潜めて笑った。
「まずは桟楽の件だけど、あんたらの生き残りがいるってのは、かなり太い線だな。両目がないだけじゃなく、相当長生きしてるらしいぜ。ただこの数年は見たって話がないんだ。役人に渡る前の死亡者一覧を当たってみたけど、それらしい人物はない。一応生きてはいるんだろうけど、もう会話なんかはできない状態かもしれない」
「へえ」
 瞬は気のない返事をして、煙草に火をつけた。耶守が鋭い目を瞬に向ける。
「なんだよ、不満かよ」
「それだけじゃないよな」
「当たり前だ!」
 耶守は一度立ち止まり、額に浮いた汗を肩口で拭うと、また荷車を引き始めた。
「爺さんに会ったことがあるっていう絆清会の男に聞いてみたら、爺さんは自分で龍羅飛だと告白したらしい。だけど自分にはもう《気波動》は使えないし、昔語りをするしか能がないって。試しに龍羅飛が攻められたときのことを聞いてみたら、爺さんこう言ったらしいんだ。自分は子供らを見捨ててしまい罪深いことをした。鬼使を生み出したのは自分のせいかもしれないって」
 道は住宅街を抜け、学校区に差し掛かる。昼時のせいか、辺りには露店が並び、軽食を売っていた。香ばしい音とかおりが耶守の顔を曇らせる。
「ちょ、ちょっと待ってろよ」
 耶守は手持ちの小銭を確認すると、その場に荷車を置いて露店へと駆け出していった。瞬は荷台に腰かけて煙草をふかした。背伸びをして代金を払う耶守の背中を見遣る。
 罪深いこと。鬼使を生み出した。
「一体、誰だ……」
 思い込みや比喩の可能性はある。同じ種族の中から、鬼使という化け物を生み出してしまった贖罪の意味かもしれない。だが彼の言葉が直接的な意味だとしたら。
 龍羅飛が攻め込まれた日を思い返す。あの日は成人の儀を前にして、練習のために学舎へ赴いたのだった。その高台から、もうもうと煙のあがる市街を見た。そばには、兄と師範がいた。
『鎮守の森への裏道を確保するんだ』
 先走る瞬の腕を掴み、師範であった東按(とうあん)は冷静な眼差しでそう諭した。だが幼い瞬にとって、戦わない道を取ることは敗北に思えたのだ。大好きだった師の腕を振り解いて、燃え盛る街を目指した。
「まさか……」
 瞬はひとり呟いて視線を落とした。井戸の水底に潜む小石のように、外と深く隔絶される。瞬は手元の煙草から灰が落ちるのにも気付かなかった。
 露店で買った串焼きを持って、耶守が駆け戻ってきた。うな垂れるようにして座る瞬の目の前に、飴色のたれが光る。
「独り占めって性に合わないから。一口やる」
 声に瞬が顔を上げると、耶守は串の先を瞬の口へ押し付けた。仕方なく、瞬は肉を噛み千切った。甘辛いたれが口中に広がる。噛みしめると血の味がした。
 耶守は飢えた獣のように串焼きにかぶりつき、あっという間にたいらげた。
「その男とは会えないのか」
 瞬は荷台から腰をあげ、足元に捨てた煙草を踏みつけた。耶守は串を投げ捨て、たれのついた指を舐める。
「無理だよ。俺らにはもう桟楽に入る手立てがない」
「どういうことだ。水路が――」
「話は、歩きながらしようよ」
 そう言って耶守は荷車をひいて歩き出した。
「あんたさ、絆清会って知ってる?」
「いや」
「いま絆景を仕切ってる奴らだよ。総統の名前は清路。どこの出身か知らないけど、子供の頃から絆景にいたとかで、すかした野郎さ」
 耶守は鼻で笑った。ぎしぎしと車輪の音がする。少し上り坂に差し掛かっていた。瞬は持ち手に手を添える。耶守はそれを横目に見たが、何も言わなかった。
「桟楽への水路は、絆清会が取り締まってる。通るのは難しいぜ」
「どうにかならないのか」
 引き絞るような瞬の声音に、耶守は思わず黙り込んだ。それでも答えは変わらない。
「無理、なんだよ。俺たちにはもう、絆清会に対抗できる力はないんだ。あんたが仕切ってた頃とは違うんだから。わかってくれよ」
 子供にそこまで言われては、瞬には引き下がるしかなかった。
「そう、か」
「ていうか、あんた鬼使なんだろ。だったら移動法で乗り込めばいいじゃねえか」
「出来るなら、とっくにしているさ」
「え」
「桟楽を囲んでいるのは金網や杭だけじゃない。あそこには非常に精巧な結界が張り巡らされてる。術でもって侵入するのは、不可能だ」
「そうだったのか」
 耶守の足取りが急に重くなった。押し黙り、俯いている。情報をやり取りする彼らにとって、知らないということは恥でもある。結界の存在を知るものはおそらく少ないが、それが慰めにならないことを瞬は仁支との長い付き合いで知っていた。
「ちゃんと押せよ、車」
「あ、うん」
 頭を軽く振って、耶守はまた前を向いた。
「そうだ。もう一つ、人探しの件。こっちは地域が絞り込めたよ。後ろの荷物の中に酒の箱があるだろ。その中に地図が入ってる」
 車の進みはそれまでよりずっと力強かった。瞬は安心して手を離し、荷台を見た。酒の木箱はいくつもあった。
「いちばん高い酒の中」
 箱には銘柄の焼印がされている。瞬はいちばん小さな箱の蓋を開けた。緩衝材として酒瓶の周りを覆っている屑の中に、やや大きな紙片があった。地図の欠片だ。
「こっちも苦労したけど、あんたがある程度を絞ってくれてたから、あとは現地へ行って一ヶ所ずつ潰していった。ただ、その場所だけが、どうしても近づけないんだ」
 地図は蓮利朱の街から東へ離れた、砂漠化の影響が比較的少ない地域だ。
「それも、結界なのか」
「そうだろうな。ありがとう、助かったよ」
 瞬は火付け具を取り出し、地図の欠片に火をつけた。手を離して風に任すと、地図は炎もろとも金色の砂になって消えた。
 博路(はくろ)を通り過ぎ、表通りに足を踏み込む。一気に人が増え、並んで歩くことはできなくなった。ともに絆景へ帰るのも躊躇われる。瞬は耶守の肩をたたき、振り向きざまに胸元へ金貨を放り込んだ。
「え、おい。金はもう」
「子供に奢らせるつもりはない。ごちそうさま。うまかったよ」
 瞬は耶守の頬についたたれを指で掬い取り、舐めた。
「探し人の件は終了でいい。あとは水路だが、もしも交渉が可能ならやってみてほしい。俺は俺で、とっかかりを探してみる。何かあったら、次は博路の梅詩亭へ知らせてくれると早い」
「わかった」
 耶守は荷車の上に厚手の布をかぶせ、絆景を目指して横道へ逸れていく。
「あ」
 唐突な耶守の声に、瞬は振り返る。
「なんだ。まだ何かあるのか」
「俺さ、あんたのこと嫌いだったんだ。仁支爺をたぶらかした悪い奴だと思ってたから」
「あながち間違ってないけどな」
「でもあんた、想像してたのと違うや」
「へえ」
「思ったより、別嬪だ」
「は?」
 瞬は咥えたばかりの煙草を思わず落とした。耶守は手の甲で鼻をこすって快活に微笑むと、前を向いて荷車をひいていった。最初に墓守の廃墟で見た、尖った小刀のような少年とは別人だった。街の中にいれば、その方が目立たないということもある。小遣いを渡したからということもある。
 だが瞬は、単純に彼と打ち解けたのだと思いたかった。
「まだ火もつけてないのに」
 足元に落ちた煙草を拾い上げ、そばにあった屑かごに投げ入れる。煙草は縁に当たって一度は跳ねたが、小さく回転して吸い込まれていった。