THE FATES

6.切願(18)

 アシリカの船着場には国中から多くの人や物が集まる。大陸を南北に流れる大河は、俗界の人々にとって移動の要であった。陸路は小回りが利くが、整備の行き届いていない悪路も多く、賊などに襲われる危険もある。定期便は多少値が張ったが、それでも早さと安全性で船が選ばれていた。
 人が集まれば、噂も集まる。船着場は情報屋にとって宝箱のような場所だった。
 不破は薄っぺらになった財布を、片目を瞑って恨めしげに眺め、ため息をついた。近々利淵(りえん)を呼びつけなければ、数日のうちに飢え死にしてしまいそうだ。
 店から出て、白く輝くような陽射しに目を細める。腹の底で、ため息にもならない悪意が音を立てた。
「どうだった」
 すぐ近くから呼びかけられ、不破はしゃっくりのような声をあげた。振り向くと弓菜がいた。
「なんや、ついて来てたんか。宿におれってゆうたやん」
「聞いた。でも、気になって……」
「まあ、ええけど」
「で、どうだったの」
「心配すんな。目当てのもんは、ちゃんと手に入れたで」
 不破は片手に持っていた封筒を目の前に翳した。
「思いのほか、たこついたけどなあ」
「見せて」
 弓菜は不破の手から封筒を奪い取り、破りそうな勢いで中身を取り出した。
「落ち着けや。とりあえずどっか他の店にでも入って、座ってやなあ」
「そんな気分じゃないの」
 不破の方を見ようともせず、弓菜は取り出した書類に目を走らせた。不破は息をついて頭を掻くと、彼女の腕を掴んで歩き出した。
「ちょっと、不破」
「ええから、来いや」
 強引に引っ張り、不破は宿から近い川沿いの公園へ向かった。肩越しに弓菜を振り返ると、彼女は歩きながら書類の頁を繰っていた。呆れるというより、むしろ感心した。執念は不破も嫌いではない。
 川に向けて設置された長椅子に、弓菜を座らせる。辺りに屋台を探すが見当たらない。不破は人がもう一人座れるゆとりをもって、隣に腰かけた。
「ねえ、これってアシリカじゅうにある療養所の、入所者一覧よね」
「せやな。ついでに言うと、身元がわからん奴ばっかりや」
 弓菜の手から書類を抜き取り、不破はそれをざっと眺めた。項目の氏名欄はほとんど空白ばかりで、外見的特徴ばかりが多く書き込まれている。髪の色、瞳の色、体格、身体の損傷、所持品などが主な内容だ。
「こんな情報で、どうやって探せば……」
 ようやく弓菜が顔を上げた。普段は顔に馴染んだ化粧も、今は浮き上がって見える。不破は背凭れに腕をかけ、頬杖をついた。
「うーん、せやなあ。弓菜、お前の相棒、里村(さとむら)っていったっけ」
 問いかけに、弓菜は力なく頷く。
「なんかもっと、ここに書かれてそうな特徴とかないんか。顔に大きい傷があるとか、本人も知らんようなところにほくろがあるとか」
 しばらく弓菜は考えていたが、肩を落として首を振った。
「そっか……」
 呟いて、不破は首を逸らして空を見上げた。
 弓菜の人探しを手伝うとは言ったものの、手がかりは少なかった。このままアシリカにいていいのか。もう外へ出ているかもしれない。手探りの中で不安はすぐに大きくなった。弓菜は探し始めて一週間で、すっかり挫けてしまっていた。
「なあ、弓菜。その銀髪の男はほんまに、里村が生きてるって言ったんやな」
「そうよ。信用できないなら、もう一度見てみる?」
「いや、ええよ。お前の腕は信用してる」
 鞄から鏡を取り出そうとする弓菜の手をとめて、不破は低く唸った。
 比古と名乗った銀髪の男が、人探しの発端だ。不破はその時の様子を弓菜の投影で知り、一つの仮説を立てた。それは比古がアシリカにいたこと、そしてわざわざ生きているという言葉を使ったことから、里村はアシリカにおり、しかも怪我や病気をしたのではないかというものだった。
 弓菜もその考えに理解を示し、療養所の入所者一覧を調べることにも賛成した。だが身元不明者一覧というのは、不破が想像していた以上に、弓菜にとって刺激が強かったのかもしれない。
 不破は上着の裏から筆記具を取り出し、髪や瞳の色が違うものを一つずつ消していった。栗色の髪に木肌色の瞳は、ごくありふれたものだ。それだけでは数は絞れない。
「絶対になんかあるはずなんや」
 弓菜を励ますわけでもなく、不破は思わずひとり言をもらした。もっとも記述の多い備考欄を確認していく。言葉に訛りがある、刺青がある、所持品の中に家族写真がある、片目が潰れている。どれも弓菜から聞く里村とは違う。
「不破はどうしてそこまでしてくれるの」
 雲が広がり、にわかに影が濃くなった。薄黄色い紙に落ちる自分の影が、透き通るようにして消える。不破は書類から目を上げた。
「なんでって、そりゃ約束したしなあ。俺にも俺のプライドがあるし」
「だけど……」
「らしないで、弓菜。お前はどんな時でも自分に素直に、周りのことなんか気にせんと、颯爽と突っ走れる女とちゃうんか」
 筆記具の尻で弓菜の肩を押し、不破は笑った。弓菜は伏し目がちに微笑む。
「不破って……、結構いい奴よね」
「なんやねん、いまさら。そんなん知ってたやろ、前から。せやから俺に手伝わせたんちゃうんか。俺やったら最後まで付き合ってくれるて、わかってたから」
「うん、たぶん。そうだね」
 弓菜は風に吹かれる前髪を押さえて、体を折って笑った。薄雲の向こうにぼんやりと光の塊が見える。不破は弓菜から見えないようにため息をつき、再び書類に目を落とした。
 慰めてほしいなら、そう言って泣いて縋ってくる女の方が不破は好きだった。弓菜の強情さには骨が折れたが、それでも不思議と嫌悪の気持ちは湧かなかった。これはこれで不破には楽しめた。
 書類の頁を繰ろうとして、ふと手がとまった。一つ前に戻り、もう一度備考を読み直す。
「おい、弓菜」
「なに」
「里村は写真師なんやろ」
「そうよ」
「ほんなら、絵筆持っててもおかしないよな」
「あ……」
「むしろ持ってなおかしいよな」
 二人は顔を見合わせて、言葉を無くした。不破は弓菜の目の前に書類を掲げる。所持品に絵筆と書かれていた。
「これだ!」
 そう叫び、不破と弓菜は互いの手を強く叩いた。