THE FATES

7.繋鎖(6)

 瞬は梅詩亭の座り慣れた席について、煙草に火をつけた。
 煙草と女はよく似ている。なくてもいいはずなのに、なければ不安で仕方ない。寂しさに押し潰されそうになる。何でもいい、誰でもいいからそばにいてほしかった。
 体の中に抱き込んだ煙は、胸のなかほどで溶けて消えていく。消えていくのに、満たされていく。煙の残り滓を吐き出すと、くわえた煙草はただ苦いだけのものに成り果てた。
 一口吸えば、もういらなくなる。それも女とよく似ていた。執着など、惰性と大差ない。
 羅依を見送って、由稀らに手紙を残して部屋を出た。夜はすっかり後退し、空は見慣れた灰色で埋まっていた。
 曇り空は時間操作にもっとも向いていた。繋ぎ目がわかりにくく、繰り返しやすい。天候が及ぼす心理的負担も軽いと考えた。ただ、雨が降らない市街は、どこか艶に欠けた。
 天水市街に張り巡らせた探査結界を、羅依に絞る。彼女はまだ絆景にいた。そばには男がひとりいたが、瞬にはそれが絆清会総統・新屋(あらや)清路かはわからない。
 羅依は言った。清路は瞬に会いたがっていると。そうだろうと瞬は思う。瞬が水輝城へ上がったあとの、無法地帯になった絆景をまとめあげた男だ。前総統を、鬼使を見てみたいと思うのは理解できた。問題は、彼がひとりで来るかどうかだった。
「仕込みは終わったよ、瞬」
 厨房の奥から梅煉が顔を出した。
「無事開店できる時間には戻ってくるけど、それでいいね」
「すまない」
「ほんとだよ。そういうきな臭い会合は、是非とも絆景でやってほしいものだよ」
 梅煉は瞬の横に立ち、外した前掛けを机の上に無造作に置いた。瞬は梅煉を見上げて、言葉につまる。
「なんて顔してんのさ」
 大きな口を開けて梅煉は一笑し、瞬の背中を強く叩いた。煙草を吸っていた瞬は、煙に噎せて咳込んだ。
「梅煉」
「いいよ。今の絆景は、もうあんたのものじゃないもんね。墓守の民だって、仁支が退いてからは中立だし。敵の真っ只中で総統と会うわけにはいかないか」
「その真っただ中に住んでるくせにね」
 箒を持った詩桜が、階段を降りてきて言った。開け放っていた扉を閉めると、乾いた鈴の音がした。
「掃除は終わったかい」
「うん。あんまり汚さないでよね、瞬」
「わかった。気をつけるよ」
 瞬が素直に応えると、詩桜は満足げに頷き、箒を持ったまま店の奥に消えた。
「なあ、梅煉」
 呼びかけに、梅煉は首を傾げて先を促す。瞬は煙草を持った手で頬杖をつき、詩桜の消えていった扉を見つめた。
「あいつはお前に似ているな」
「そうかい」
「ああ。そうすることで、俺を責めないように自分を律しているんだ」
 詩桜の瞳にときおり宿る冷たい影は、深い諦めと寂しさによるものだ。瞬にも覚えがある。心に開いた穴があまりにも大きすぎて、誰かを憎んだり恨んだりすることに考えが及ばない。それよりも毎日を遣り過ごすために、悲しみとは逆の方向へ自分を持っていこうとする。
 周りから、気丈で賢い子だと褒めてもらうことで、穴の開いた自分を埋めようとするのだ。決して埋まらないと知りながら。
「もしもあのとき、俺が染芙の代わりに――」
「はい、そこまで」
 梅煉は手を強く打ち鳴らして、瞬の言葉を遮った。
「あの子のことを不憫に思うのは簡単だよ。でも私らは、それをしちゃいけない。詩桜をかわいそうと言っちゃいけない。だって、そうだろう」
 梅煉の目尻に、皺が刻まれる。優しさと苦悩が入り混じった眼差しに、瞬は死んだ母親を思い出した。
「ただ、見守るしかできないんだよ」
 椅子の背に手をかけ、梅煉は前を見据えた。
「詩桜があんたのことを責めないのは、あんたのことを好きでいたいからだよ」
「俺を?」
「昔、絆景まであんたを探しにいった、あくる日の朝ね、あの子は言ったんだよ。お父さんも瞬みたいに素敵な人だったのかなって」
「……それに、どう答えたんだ」
「そりゃ、私には劣るって言ってやったよ」
 快活に笑う梅煉を見上げて、瞬も頬を緩めた。
「なるほど、詩桜がお前に似るわけだ」
 厨房の奥の扉が開いて、着替えを済ませた詩桜が駆け出してきた。紺や緑の格子模様の服は、彼女の朽葉色の髪がよく映えた。
「ちょっと、なに笑ってんのよ、二人して」
「なーんでも、ないよ」
 腕に飛びついた詩桜を軽くいなして抱きとめ、梅煉は腹の底から笑った。力強く抱きしめられた詩桜は、跳ねながら笑った。
「それじゃ、瞬。交渉がうまくいくことを祈ってるよ」
「ありがとう」
 梅煉が手を振るので、瞬は手を上げて応えた。詩桜も服の裾を翻して、梅煉についていく。
「あ、ねえ瞬」
 店の扉を押さえて詩桜が振り返った。
「由稀、どうしてる」
「まだ寝てるんじゃないか。そのうち起きて飯でも食いに市場へ行くだろうが」
「うん……、そっか。あのね、何か言ってなかった?」
「何か、って」
 瞬は詩桜の求める答えがわからず眉をひそめた。
「あいつと何かあったのか」
「え、あ、ううん。何も聞いてないなら、それでいいの。ごめんね、ありがとう」
 曖昧な笑顔を残して、詩桜は店をあとにした。