THE FATES

7.繋鎖(8)

 不意の静寂を見いだし、壁際の灯りが音を立てた。
 やがて清路は力ない笑いをこぼして、羽虫を払うように手を振った。
「気が触れそうだ」
 独り言のようにこぼして、瓶から手を引き剥がした。力を込めすぎたために指の関節は固くなっていた。清路は機械の具合でも確かめるように、手を開いたり握ったりを繰り返した。
「ここへ呼んだのは、ただの挨拶というわけではないんでしょう」
 灯りの中に浮かぶ紫煙を眺め、清路は芝居がかった仕草で肩を竦めた。
 瞬は煙草の灰をはじき落とした。
「水路を通してほしい」
 あらためて口にすると、それはひどく屈辱的なものだった。瞬は平静を保って、自分からも見えないようにする。
 清路は片眉を上げて瞬を凝視した。
「へえ。水路とは意外だ。桟楽に御用ですか。もしや資金にお困りで。だったら私が都合しますよ。彼らは加工の技術を持たない。あなたが桟楽へ行っても、ただ無残に奪われるだけだ。……まあしかし、あなたのものなら、たとえ剥き身のままだとしても、王家ですら買い取れないほどの高値がつくでしょうね」
「龍眼の話じゃない。人を、探している」
「はあ。人探し、ですか」
 清路は気のない返事をして、乱れた髪をかきあげた。やや考え込む素振りをして、ああと声をもらした。
「なるほど、あそこはあなたの管轄外か。直接行くしかないわけだ」
「話がはやくて助かる」
「あなたに関する情報は真偽を問わず集めた。独りよがりな引き継ぎですよ。まさか桟楽の話が本当だとは、今の今まで知りませんでしたが」
 清路はやや曲がった鼻筋を撫でて、頬を緩めた。
「で、誰です。探しているのは」
 躊躇いのない問いかけに、瞬はうかつにも戸惑った。事情を話さずに水路を通してもらうことは難しいだろう。だが正直に話す必要も感じられない。
 清路が東按(とうあん)を知っている可能性を考える。全くない話ではない。だがそれを問うことで生じる不利益の方が大きいように思えた。
 逡巡が無用な間を作った。
「急かせば、吐きますか?」
 乾いた笑いとともに呟くと、清路は腰に挟んでいた銃を素早く抜き、羅依に向けた。あまりのはやさに、羅依が身構える間もなかった。腿に巻きつけた革帯には、投げるために指ほどの大きさに揃えられた小刀が入っている。だがそこに手を伸ばしたまま、彼女は微動だにできなかった。
 清路には迸るような殺気がない。だが躊躇いもない。まるで人形を壊すように羅依を撃ち抜きそうに見えた。
 時の流れから置き去りにされたように、永遠が支配した。ただ指先が震えるだけでも、保たれている均衡が一瞬で崩れてしまいそうだった。清路が築いた緊張は完璧だった。
 だが、だからこそ生まれる隙がある。
 瞬は紫煙を吐き、おもむろに腕を組んだ。
「そうだな、だったら昔馴染みがいることにしようか」
 細い顎をなぞり、瞬はかすかに笑った。清路は返す言葉に詰まった。その一瞬で清路の優位は失われた。これではいくら瞬が真実を語ろうとも、清路にはもう信じられる余地はない。
 清路は小さく舌打ちした。
「動じませんか」
「切り札を切るのが早すぎるな。それにその切り札はもとより無効だ。俺には身を挺して彼女を守る必要がない」
「そんなことは、わかっていますよ。少しは歳を取って分別がついたかとも思ったんですが、噂どおりですね。あなたにとっての執着なんて、子供の駄々と同じだ。一眠りすればけろりと忘れてしまう」
「ずいぶんと乱暴な言い方をする」
「期待したんですよ、それだけ。彼女は違うんじゃないかと」
 清路は流れるような目つきで羅依を見つめた。
「ただ守られるだけではない女だ。彼女なら、あなたを守ってくれるでしょう」
「たしかに羅依は強い。銃ごときでは傷つけられないな」
 あからさまに問いをかわし、瞬は緩慢な仕草で清路を眺めた。清路は興醒めといわんばかりに息をついた。
「それでも眉のひとつくらい動かしてみたらどうです。彼女のためにも」
 羅依へ向けていた銃口を下げ、清路は目を細めた。
「悪かったね、お嬢」
「いや……」
 羅依は、天水の言葉で交わされる瞬と清路の会話についていけずにいた。突然の事態に、まだ混乱している。銃の脅威が去り、身構えは解いたものの、所在なさげに壁際に突っ立っていた。
「どこまでも罪深い人だな」
 清路は卓の上に銃を置き、吸いかけの煙草を灰皿に投げ入れた。
「気付いていますか、あなたは自分の罪に」
「羅依に銃を向けておいて、よく言う」
「彼女のことだけではなく、もっと広い意味で」
「さあ。多すぎてわからないな」
「だが、どれも過去のことだと思っている。違いますか」
「罪を犯した過去は変わらない。悔いた程度で許されるとも思っていない。だが、それがなんだ。絆景はまだ俺を引きずっているとでも言うのか。だとしたらお前たちの怠慢だろう。いったい、何が言いたい」
 二人の間に置かれた黒い灰皿からは、白く細い煙が立ちのぼっていた。
「怠慢……? 簡単に言ってくれますね」
 口を歪めて、清路は痛々しい笑みを浮かべた。
「引きずらないわけ、ないでしょう」
 清路は上着の内側から、掌にすっぽり収まるほどの小さな箱を取り出した。箱は淡い砂色の鉱石から作られており、店の灯りを受けて少女の頬のように紅色に染まっていた。
 瞬には箱の中身がすぐにわかった。この鉱石は熱や湿気に強く、中の温度を一定に保つ特徴があった。昔は薬箱として重宝されたが、今はもっぱらあるものを保存するために使われていた。
 清路の、爪の短い指先が蓋を摘まんで開く。
「これの流通を確立させたのは、初代総統だと聞いている」
 中には真綿に包まれて、深緑の石が入っていた。表面は濡れたように輝き、深部には今にも立ち消えそうな揺らめきが見え隠れした。まるで見る者を誘う娼婦の眼差しだ。
 瞬は直視できずに、目を逸らした。
 それは紛れもなく、真正の龍眼だった。
「あなたは仲間を売ったのか」
 箱を瞬の前まで差し出し、清路は声を押し殺して言った。瞬は思わず清路を睨み返した。違うという言葉が喉までこみ上げた。飲み込むと、口の中に煙草の苦味が染みた。
 こちらが本当の切り札だったのか。
「当時の絆景の、総意だ」
 察してくれと言いたかった。だがそれは瞬の自尊心が許さなかった。
 自尊心。瞬は胸のうちで反芻して、自嘲した。
 総統という立場に未練はないと思っていた。絆景に対する執着も過去のものだと思っていた。だがそうではない。未練がないなら、いくらでも清路に取り入る方法はあったはずだ。執着がないなら、住居を絆景にこだわる必要はないはずだ。
 つまらないと思いながら、捨てきれない。否、捨てることを許されない気がしていた。そうやって、縛られていたかった。
 自分が生き残るために絆景の頂点に立った。刃向かうものは、容赦なく討ち捨てた。だが同時に、拠り所となる絆景を壊さないために、譲歩することも求められた。それが龍眼の流通経路を確立し、保護することだった。
 せめて自分だけでも生き残れば、いつか天水王家に復讐するときが来ると信じていた。そして、その機会はたしかに訪れた。だが、そのときにはすでに、瞬の気概が折れていたのだ。
「総意、ね」
 清路は瞬の言い訳を見抜いている。それも仕方がないと瞬は色褪せた思いで眺めた。どう言い繕っても、残された事実はただひとつのことを語っている。瞬は絆景を作り上げ、その頂点に立つために、仲間を踏み台にしたのだ。
「最終的にはあなたが決めた」
「だとして、それをはっきりさせることに何の意味がある」
 瞬は清路が捨てた煙草に自分の煙草を押し当てた。だがどちらも消しきれず、かえって燻った。
「意味、などと……」
 憤りにも似た感情が、清路の言葉を鈍らせた。
 瞬の目に映る清路は、瞬よりもずっと苦しげに見えた。
 清路は瞬から言葉を引き出そうとしている。贖罪の、自責の、そして後悔の言葉を欲していた。だが瞬には、清路がこんなに回りくどいやり方を選ぶ、その理由がわからなかった。
 清路は何度か言いかけては飲み込み、最後には唾を吐き捨てるようにして口を開いた。
「気に食わない、だけでは足りない。胸がむかついて仕方ない。よく平気でいられるものだ」
「自分はまるで聖人君子のような物言いをするんだな」
「あなたに比べれば、誰もが聖人君子ですよ。少なくとも私は、あなたのような所業は未経験だ」
 そもそも、と清路は続ける。
「経験したいとは思わないがね」
 嘲笑よりももっと激しい嫌悪や蔑みが、清路の口の端からこぼれ出す。瞬は聡く嗅ぎとって、火付け具の蓋を意味もなく開け閉めした。
 清路は龍眼の表面を撫でた。
「拠って立つべき場所を失った龍羅飛にとって、龍眼は仲間の命であり、王家への憎しみを象徴する旗印のように思えるが。どうやらあなたはそうではないらしい」
 深く輝く龍眼の奥に、壁に下げられた灯りが映りこむ。炎の揺らぎが、哀切に変わる。
「私には、家族がない。住む家もなく、毎日寝るところを探した。物心ついた頃には絆景の石屋に入り浸って、一日中龍眼を眺めた。七つのときには、店の配達を手伝った。頼まれれば絆景中の運び物をした」
「そうか」
 瞬は無視に近い相槌をかえした。首筋に、あるはずのない龍眼の視線を感じる。
「いつしか孤児だけで群れていた。とても組織とは呼べないただの寄せ集めだったが、それでも根本は今と変わらない」
 清路は横目に瞬を一瞥した。
「なにが言いたい」
 瞬はひときわ強く蓋をはじいた。乱暴で感情的な金属音が店に響く。清路は龍眼の入った箱を静かに閉じ、手の中に握りこんだ。
「あなたはひとりで生きられると思っていたのか」
「誰だってひとりだ」
 視界から龍眼が消えたというのに、まだ見られている気がした。瞬は理性が擦り切れていく音を聞いた。
「本当にそうか。そこまで達観していたのか。たったひとりで生きていけると、あなたは本当に信じていたのか」
「信じずにはいられなかった」
 弾劾するような清路の口ぶりに、瞬はたまらず声を上げた。
「あのときの俺は、信じるほかに生き方を知らなかった。誰もいない。俺はずっとひとりで」
 空虚さが押し寄せ、瞬は口を噤んだ。いまさら、なぜこんな話をしているのかわからなかった。誰かにわかってほしいと、あんなにも願ったのに。なぜ、今になって。
 窓のない店内は、時折ひどく息苦しい。梅煉や詩桜がいないと、ここはまるで牢獄のようだった。
 歪な沈黙を嫌って、清路がこれ見よがしなため息をついた。
「それは絆景の総統だからか。それとも龍羅飛の生き残りだからか」
「愚問だな」
 瞬は力なく笑って、続けた。
「最後には俺がそう望んだ。ひとりを。それだけだ」
「だったら……」
 清路は昂りを押し隠すように、息を継いだ。
「だったらなぜ、紅を生ませた」
 火付け具に添えられた瞬の手が、一瞬で凍りついた。顔をあげ、清路を見返す。
「紅のことを、知っているのか」
 一語一語を確かめながら問いかける。清路は何も答えようとしない。瞬は肩越しに羅依を振り返った。
「絆清会とは、どこでどう知り合った」
「あ、えと」
 突然話を振られ、羅依は途切れがちに答えた。
「絆景で」
「そのとき、紅は」
「一緒だったよ。それに、清路は紅の……友達らしくて」
 俯いて、わずかに顔を曇らせる。
「すまない、瞬。聞かれなかったから言わなかったんだ」
「いい。かまわない。もう、済んだことだ」
 羅依に片手を上げ、続く言葉を押しとどめる。煙草がなくて落ち着かないのに、取り出すのは億劫だった。
 椅子に座っていることを忘れるほどの、ひどい目眩がした。瞬は火付け具の端を額に押しつけ、強く目を瞑った。