THE FATES

7.繋鎖(15)

「術、式……?」
 由稀の問いに、凍馬は笑顔で頷いた。
「そう。君の中に久暉の魂を埋め込み、空っぽになった体を元通りにした術式だ。俺はこれまでに様々な治癒系の術を見てきたけど、あんなに粗暴でこんなに完璧なやり方は初めて見た」
 凍馬は背後にいる久暉へ視線を移す。久暉は一瞥を返すだけだった。
 由稀は自らの胸をおさえた。
「あなたの術は、今でも完璧じゃないですか」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいよ。でもね、この術式は別格なんだ。久暉で証明された結果はもちろん、魂と肉体の分離を人為的にしてしまうなんて、非常に興味深い」
 凍馬の瞳の奥に、熱が溢れる。
「俺は、あれが欲しい。俺のために傷ついた姉さんの体を元に戻してあげたい。そのためなら、俺は君たちを敵に回すことだって厭わないよ。もちろん、その向こうにいる瞬だって、俺は――」
「凍馬」
 久暉が低い声で凍馬の言葉を遮った。
「そのくらいにしておけ」
「君に、何か都合の悪い話が?」
「そういう意味ではない。貴様、なぜこの場所がわかった。鬼使ではない貴様に、私の居場所が掴めるはずはない。あれからすぐに追ってきたのか」
「ああ。青竜が飛び出していこうとしたんだけど、彼では無理だと思ったからね。まあ、思いのほか君が早く馬を手放してくれたから、結果から見れば、彼でも追いつけたんだろうけど……、でも、ね。何をしてくれるか、わからないから。ほら、君を失った、君の忠犬は」
 笑顔で言ってのける凍馬に、由稀ははじめて怒りを覚えた。顔に出たのか、気付いた久暉が目顔で由稀を諌める。凍馬は二人の沈黙を掠め取った。
「由稀くん、君は俺に言いたいことがあるみたいだけど、そもそも俺が今ここにいられるのは、誰のおかげだと思う」
「え」
「さっきの話、忘れた?」
「話って」
「市街の結界のことだよ」
 青い炎に引き裂かれた結界を思い出す。瞬が維持しているという、天水市街を守るための結界だ。出入りするものを厳しく監視しているという話だった。
 凍馬は言った。自分のようなものは、結界に拒絶される、と。
 ではなぜ、彼はここにいられる。
 思いつく限りのことを考えてみた。凍馬は結界を破って侵入したのだろうか。だが先ほどの青い炎は、間もなく立ち消えた。
 凍馬は由稀に炎を見せることで、瞬と互角であることを示したのではない。狙いはむしろその逆だ。
 天水市街の結界を、凍馬が突破することはできない。
「そんな……」
 ならばなぜ。彼はここにいられる。
「そんな、まさか」
 それを可能にできる人物を、由稀は一人しか知らない。体中の水分がすべて抜け落ちていくような、抗いがたい脱力感があった。
「そのまさかだよ」
「瞬が……、瞬があなたを通したんですか。それだけじゃない。久暉のことも、わかっていて、知っていて……、あいつは、何も、言わずに……」
「お利口さん」
 凍馬の笑顔が遠く感じられた。由稀はすぐ後ろにあった壁にもたれて、息をついた。
「なんで、そんな」
 瞬は、由稀にとっての久暉の存在が、どれほど大きいものか知っていたはずだ。何度も、話し合ったつもりだった。自分の考えや思いを、みんなに伝えたつもりでいた。そしてそれを理解してもらえたから、同じ目的をもって天水へ来たのだと思っていた。
 裏切りというには、あまりにも独りよがりな気がした。
 乾いた笑いがもれた。顔が引き攣る。
 何か事情があるのだろうと思う。だがそう言い聞かせても、癒されない痛みがあった。
 瞬が久暉や凍馬を見逃したのがつらいのではない。その事情を話してもらえなかったことがつらいのだ。痛いのだ。
 彼への信頼が無くなったわけではない。だが揺らいだのは事実だ。その事実もまた由稀をさらに苦しめた。由稀自身も瞬を裏切ったように思えたからだ。
 体の中から崩れていくような感触に、覚えがあった。
 そうだ、あの白い神殿で感じたものによく似ている。
 自分は青竜にも裏切られたのだ。
 ほんの少し揺らいだ程度で自立まで危うくなるような、自身の脆弱さが情けなかった。何でも自分で決めて、何でも自分の力でこなしているつもりだった。だがそうやって自由に振る舞える地盤を、常に他者に求めていた。自分より強く、自分より聡明で、自分より罪深い誰かに。自分の足で立ってなどいない。だからすぐに揺らぐのだ。
 街の喧騒も、自らの鼓動も血潮も、音という音のすべてが排除されていく。顔をあげると、凍馬が何か言っているようだったが、よく聞き取れなかった。水の中にいるように、音が膨らんで原形を失った。
 目の前の凍馬が、何かに気付いて不意に空を見上げた。久暉もつられて首をめぐらせる。
 直後、夜陰を引き裂く稲妻のように、聞き慣れた駆動音が由稀の静寂を打ち破った。
 空を仰ぎ見ると、スウィッグの底面が浮かんでいた。その影が急速に大きくなるのを見て、近づいているのだと理解した。
 金属を強く打ち鳴らした余韻のような音が、低く唸る駆動音に重なり、それまでの均衡や緊張や極みを無遠慮に破壊していく。
 衝撃を緩和するための風が、いつもよりも激しくスウィッグを包み、狭い路地を駆け抜けていった。砂埃が巻き上げられ、由稀は腕で目を覆った。
 色のない路地に、真っ赤な機体が降り立った。
「由稀!」
 凍馬と由稀を隔てるようにして、スウィッグが鋭い矢のように滑り込んでくる。
「勝手に走り出すなよな」
 機上の紅は、乱暴に眼鏡を外して由稀を睨みつけた。
「あ……、ごめん」
「探すのにどれだけ苦労したと思ってるんだよ。あんまり面倒で、制御はずしちゃったじゃねえか。さっき警笛が鳴ってたから、たぶんすぐに警官が追いついてくる。さっさとここから離れないと」
「え、いや、その」
 由稀がまごついていると、紅は凍馬へ向き直った。
「これ、どういうことだよ」
「驚いた。さすが初期スウィッグは性能が桁違いだね」
「そんな話してんじゃねえよ。この三者面談は、なに」
「運命の赤い糸……いや、鎖かな」
「ふざけやがって」
 紅は凍馬に目を据えながら、由稀にスウィッグに乗るよう手招きした。静かに控えていたスウィッグが、再び咆哮をあげた。上から吊り上げられたように、背丈ほど浮き上がる。足元に伝わる振動は、悪道を行く馬車のように不規則で激しかった。飛びたがっている。まるで生き物のようだ。
「おい、おっさん」
 外した眼鏡を頭に乗せ、紅は凍馬を見下ろした。スウィッグの下から、覗きこむようにして凍馬が顔を出す。
「おっさんは心外だなあ」
「時間操作……、天水の時間をいじったのは、あんたか」
 紅はスウィッグに邪魔をされないように声を張り上げたが、声音はいつになく神妙だった。凍馬は首を横に振った。
「いや、違うよ」
「じゃあ、誰がやった。どうせ知ってるんだろ」
「知ってる。でも、俺をおっさん呼ばわりした子には教えてあげない」
「はあ? 心狭すぎだろ!」
 叫んだ拍子に眼鏡が頭からずり落ちた。地面に落ちる前に凍馬が受けとめ、紅に投げ返す。
「でも、手掛かりなら。他にも知ってる人を教えてあげるよ」
 凍馬は天水の言葉で答えた。
「誰」
「君の数少ない友達の中に、絆清会の総統がいるね」
「清路か」
「彼なら知っているはずだよ。時間操作のことだけじゃなく、瞬のことも」
「は」
「だって瞬は、絆景の初代総統だから。現総統が初代を知らないはずないだろう」
「初代、総統? なんだよそれ。ていうか、なんであいつの話が」
「知りたいだろう、鬼使のこと」
 無味な警笛が、不躾に会話を断ち切った。凍馬は笛の聞こえた方を見遣り、紅に笑いかけた。
「近いよ」
「聞こえてる。由稀、落ちるなよ」
 スウィッグはさらに熱を吐き出し、一気に建物を飛び越えた。
 見上げた先には灰色の空しかなく、市街を取り囲む砂漠が見渡せた。天水市街はまるで、砂漠に取り残された最後の砦のようだった。
 真下の路地には制服を着た警官が数人、空に向けて腕を振り上げていた。降りてこいと叫んでいるようだ。
 そこにはもう、凍馬と久暉の姿はなかった。
 由稀は警官から視線をそらし、いつもより近い空に手を伸ばした。青い炎が焼いたあとを指でなぞる。
 やわらかい感触があった気がして、由稀は空に爪を立てた。