THE FATES

7.繋鎖(18)

 加依は何度目か知れないため息を、小さく吐き出した。
 天幕の中は蒸し暑く、全身から汗が滲んだ。膝をついた足元には、質のいい毛皮が敷かれている。加依は、血なまぐさい光沢に沈み込む自らの膝を見つめて、王の帰還をじっと待っていた。
 彼らの王。それは一族の長であり、加依の父でもある。
亘理(わたり)様のお越しです」
 天幕の外から声がして、兵士らが出入り口の分厚い布を素早く上げた。加依は下げていた頭をさらに下げて、体をかたくした。首筋に、長い髪が滑り落ちてくる。払いのけたかったが、いまは許されない。
 歩くたびに金属の触れ合う音がする。剣を吊るす金具と鞘がぶつかる音だ。息をするのも憚られるような静かな天幕では、その音が世界の全てになる。加依は耳を塞ぎたくなる思いを冷たくあしらって、長が腰を落ち着けるのを待った。
 剣を置くときの、鈍い音がした。肘掛けが軋みをあげる。
「いつ戻った、加依」
 挨拶もなく話しかけられ、加依は略式の礼で応えると顔をあげた。
「昼には。那伎(なぎ)から長のお戻りを聞き、急ぎお迎えに上がりました」
 伏し目がちに、目の前の男を見る。視界の上辺に男の無精髭が映った。彼は鷹揚にあぐらをかき、頬杖をついていた。肌は日に焼けて浅黒く、隆起した筋肉が服越しにもよくわかった。
「那伎か。久し振りに会わねばならんな」
「向こうに控えさせています。後ほど上がらせます」
「ああ」
 腹に響くような低い声で頷いて、長は鼻で笑った。
「加依。貴様、いつまで儂と目を合わせないつもりだ」
「恐れ多いことを」
「ふん」
 長はおいと兵士に声をかけて、人払いをした。護衛の兵士らもすべて出ていくのを気配で確認し、加依は目を上げた。
 目の前の男は、口を歪めて笑っていた。
「なぜ羅依を連れてこなんだ」
 問いの形をとりながら、彼は理由など求めていなかった。ただ、加依を責めている。加依は舌に広がった苦味を唾で押し込んだ。
 最後に父に会ったのは、羅依を探しに俗界へ発った日だ。あれからもう二年近くが経っている。羅依や不破とともに魔界へ帰ってきたときにも、加依は長に会いに行こうとはしなかった。おそらく羅依は父に会えることを楽しみにしていたはずだ。だが彼女の性格上、それを口に出すことはなかった。加依はそれを利用した。甘えたと言ってもいい。羅依を言い訳にして、面会に赴くことを拒んだのだ。
 父・亘理は、それを責めている。
「彼女はいま、この地を離れています」
 天幕の中で二人きりになると、急に喉が渇いた。
「天水という場所をご存知ですか。アミティスとは違う世界だという話です。諸事情があり、今はそちらへ」
 本当に親子かと疑うほど、二人の容姿には似通ったところがない。亘理は野生の獣を思わせる逞しさと鋭さを兼ね備え、顔つきは骨ばってごつごつとした岩のようだった。髪は魔族にしては珍しい漆黒で、棘のようにかたい。対する加依は、湖面に張った薄氷のように透明感があり、涼やかな顔立ちをしている。翼は最上の闇色で、上背はあるもののそれほど筋肉質ではない。
 加依は幼い頃から抱いてきた優越感と劣等感を、奥歯で噛み砕いた。
 ぐっと顔をあげて、亘理の目を正面から受けとめる。父の目は黒く暗く、底が見えない。見つめられると、心の内側を見透かされているような気持ちになる。見られたくない本能が、目を逸らそうとする。加依は必死でそれをこらえた。
 だがこちらの羞恥心など構うことなく、黒い目は加依を見据えた。掻き分けて、強引に踏み込んでくる。
 顔に貼りつけたはずの仮面が壊れそうだった。揺さぶられる。胸に押し込んだはずの吐息が、思わずこぼれた。
「そうやって儂から隠したつもりか」
 真実を見抜かれ、加依の返答は一瞬遅れた。
「僕の一存で決まったことではありません。彼女の意志と、彼女の仲間の願いでした」
「小賢しいな、加依。いつまで羅依を隠れ蓑にするつもりか」
 加依には返す言葉がなかった。否定することは無意味に思えたのだ。
「儂とて、そうそういつまでも黙ってはおれん。貴様の俗界行きを許したのは、気まぐれでも愛情でもない。こちらの利益のためだ」
「ええ。そうですね」
 愛情などであってほしくないのが本音だった。いまさら亘理に父親面をされても、困るのは加依の方だ。
「ですが、長。羅依は――」
「本当に利用してるのはどちらだ」
「それは……」
 羅依を言い訳にしていることを、隠しきれているなどと思っていたわけではない。そもそも、積極的に隠すこともしてこなかった。だが面と向かって言われると、加依の立場は弱い。
「だから貴様は儂を非難しきれんのだ」
 亘理はあぐらを崩して片膝を立てた。
「そうまでなると、健気さも不憫だぞ、加依。それはなんだ。母への情か、それとも儂への憎悪か」
 膝頭に腕を乗せ、投げやりに加依を指差す。
「だから貴様は器が小さいというのだ」
 けしかけられているのだと頭ではわかっていても、心が軋んだ。加依は感情のすべてを呑み込んで仮面の裏に隠した。少しくらいの怒りは残しておきたかったが、そこまで器用なことはできなかった。
「大局を見ろ。魔界が生き残る道は鉱石燃料しかない。新しい鉱脈を見つけるには、どうしてもあの剣が必要だ」
「わかっています」
「本当にわかっているのか」
「はい」
「だったらどうして羅依を、いや、羅依などどちらでもいい。あの剣を、地毒の剣をなぜ儂の前に持ってこんのだ」
「先ほどから申し上げています。羅依を巻き込むことはできないと」
「羅依を探しにいった貴様がそれを言うのか」
「探しにいったからこそ言えるのです。彼女はもう魔界の者ではありません。俗界で自らの生きる道をきちんと勝ち取っています」
「ならば新しい鉱脈はどのようにする。このままでは魔界は枯れるぞ」
「恐れながら、本当に鉱石燃料だけが魔界のすべてでしょうか。他にも魔界が生き残るすべがあるかと。少なくとも、そういった未来を模索することも必要な時期かと思います」
「貴様はこの土地を滅ぼすつもりか」
 亘理は口を歪めて笑った。加依はあえて否とも応とも答えなかった。
「まあ、それならそれで、面白いがな」
 肩を揺らして笑い、亘理は前のめりになった。
「ただしそれには、この父を倒すことになるが。貴様にそれが出来るのか」
「僕がそこまで情に篤いとお思いですか」
「いいや。能力の問題だ。貴様は儂には勝てんよ」
 加依が睨みつけると、亘理は笑い声をおさめた。口元は笑っていたが、目の奥が鋼のように硬質で冷たい。
「せいぜい貴様が儂に勝てるのは、母譲りのその顔の美しさくらいだろう。小童のときだけかと思っていたら、いつまでも女みたいな顔をしおって。男の貴様が美しくても、何の足しにもならんと言ったろう。そういえば、羅依は今でも貴様と同じ顔か。ならばあの端女も羅依を置いていってくれれば良かったものを。なかなか、うまくいかんな」
「羅依にそんなことはさせません」
「ふん、そうか。羅依も貴様と同じ顔か」
「させません。もう、彼女をこの大地へ連れてくる気もありません」
 たとえ羅依が来たいと言っても、加依にその気はなかった。