THE FATES

7.繋鎖(19)

「入れ込んでいるな」
「そういうわけでは。ただ彼女には彼女の人生があります。僕に出会うまでに築いた彼女だけの人生が。僕にはそれを壊す権利はありません」
「自分の幻想を重ねたか」
「は」
「なまじ同じ顔だ。羅依に自らの願望を押しつけたのか」
「そんなことは……。僕はこうやって長のお手伝いができることを」
「やめろ。見苦しい」
 亘理は吐き捨てるように言って、腰をあげた。顔を加依の方へ突き出し、目線を同じ高さに合わせる。
「見えているぞ」
 低い声に、背中が凍えた。加依は両手をついて頭を下げた。
「羅依のことをきちんと報告しなかった非は認めます。ですが――」
「そんな話ではない。儂が言ってるのは、貴様のその薄汚い仮面のことだよ」
 喉に穴が開いたように、ひゅっと空気がもれた。その音を聞いて、自分が息を呑んだのだと自覚した。視界の端から剣の柄が現れ、顎の下に差し込まれた。
「ずいぶん綻びが目立つようになった。ここを出る前の貴様の方が、よほど装うのは上手だったというに。価値を落として帰ってきたな、加依」
 柄で顔を上げさせられる。加依は平静を貫くことで抗った。装飾の施された柄は肌に食い込み、喉を圧した。
「まあ、貴様がどんなに抵抗しようとも、何も変わらん。羅依が俗界で自分の道を見つけたと言うなら、貴様の道は魔界にしかない。魔界で育ったお前には、ここしかない」
 亘理は加依から剣を離し、鞘の先で毛皮を叩いた。
「せいぜい羅依を慈しむことだな。貴様自身を生贄にして」
 せめて嘲笑でも浴びせてくれたならば、どんなに楽になっただろう。加依はそう思いながら、ゆっくりと顔をあげた。それを見て、亘理が腰をあげる。
茅音(かやね)が使えるかどうかはわからん。なるべく羅依も連れてこい。下女が死んでから六年もの間、正気のまま地毒剣を持っているなら、母の血を継いで地毒に強い体質かもしらん」
「確定ではありません」
「保険は必要だ。いくつでも、あるに越したことはない」
 手に持っていた剣を腰から下げる。足元から見上げる父は、子供の頃と変わらず大きかった。
「長はこのあとどうなさるのですか」
「戦略的に一時退いただけだ。またすぐに前線へ戻る」
「そうですか」
「貴様も来るつもりか」
「ご命令でしたら」
「邪魔だ。来るな。好きにしていろ」
「わかりました」
 加依が頭を下げて言い終える前に、亘理はすでに天幕から立ち去っていた。外から声が聞こえてくる。那伎を探しているようだった。一度天幕の布が上げられ、兵士が来る気配がしたが、頭を下げた姿勢のまま蹲っている加依を見て、何も言わずに下がっていった。
 喧騒が遠ざかる。それは亘理が天幕を離れたからか、自分の耳が役割を放棄してのことか、加依には区別がつかなかった。ただ、一向にやわらぐことのない蒸し暑さに辟易していた。
 体の中に溜まった感情のこごりを、ため息にして吐き出す。心なしか軽くなった体を腕で支えて起こすと、やおら目眩がした。思えば今日は、ほとんど何も口にしていない。緊張から解放された腹が、空腹に呻いていた。
 加依は足を投げ出し、毛皮の上に寝転がった。天井を見上げて、骨組みの数を数える。一度数え終わると、再び数え始めた。それを何度かやっているうちに、空腹はすっかり収まっていた。
 疲れが全身をめぐる。しばらく起き上がれそうになかった。寝転がるのではなかったと後悔する。
 薄暗い天幕内に、光が差し込んだ。顔を動かさず目を遣ると、布が上げられていた。隙間から那伎が顔を覗かせていた。
「あにさん……」
 声を出すのも面倒だったので、加依は放り出していた手で小さく招いた。那伎は辺りを見渡してから素早く中に入り込んだ。
「大丈夫か、あにさん」
 すぐそばに膝をつき、那伎は加依を覗き込んだ。暗がりで見る那伎の深紅の瞳は、褐色の色香を帯びていた。
「長に挨拶は?」
「うん、してきた。翼も見せてきたよ。えらい褒めてもろた」
「そうか」
「なあ、あにさん。どこか具合でも悪いんか。呂灯先生呼んでこよか」
「なんでもない」
 翼を見せたあとだと言う那伎は、ひどく薄着だった。肩や背中を無防備に晒し、ほのかにかいた汗のにおいを振りまいている。
 甘い、少女の香りだ。
 この香りを加依は他にも知っていた。脳裏に、玲妥の笑顔が浮かんだ。同じ年頃の少女らに共通点は多い。いじらしいところ、健気なところ、か弱いところ。だが決定的に違う点があった。
 加依は、心配そうに眉を寄せる那伎の髪に手を伸ばした。瞳と同じ深紅の髪はやわらかく、指に寄り添ってくる。
「あにさん……?」
 那伎は首を傾げて加依を見つめ返した。加依は髪に伸ばしていた手を、那伎の後頭部へまわす。自然と那伎の体は加依へ引き寄せられた。空気が揺れて、少女の香りが強くなる。
 もしも相手が玲妥なら、こうはいかない。彼女は那伎よりもむしろ純粋なところがあったが、それは闇を知っているがゆえの光だった。
 玲妥の優しさは厳しい。だが那伎の優しさは甘い。
「那伎、俺のこと好きか」
「え……」
 握れば潰れてしまいそうなやわらかな頬が、赤く染まる。那伎は戸惑いに目を逸らした。少女は時折、女になる。
「なんでいきなり、そんなこと」
「どっち。好き、それとも嫌い」
「す、好きに決まってるやんか」
 那伎はか細い声で搾り出すように言うと、加依の胸にすがりついた。
「うち、ずっとずっと小さいときから、あにさんのことが好きなんよ」
「そっか」
 知っていたとは告げない。
 腹や胸に那伎のやわらかさが押しつけられる。加依は那伎の耳朶を撫でながら天井を見上げた。喉元に那伎の視線を感じた。
「なあ、あにさん。悲しいのん?」
「どうかな、少し違う気がする」
「ほんなら寂しいの」
「ちょっと近づいたかな」
 加依が力ない笑いを浮かべると、那伎は起き上がって顔を覗きこんできた。彼女の髪が頬に触れるほど近い。
「うちに、あにさんの寂しさ埋めれる……?」
 那伎は加依を見下ろして眉を寄せた。加依は笑みを見せることもなく、ただじっと那伎を見つめ返した。
 彼女を愛しいと思う。だがそれは自分に対する好意を知っているからだ。決して彼女に対して抱いているものではない。自分の代わりに自分を愛してくれる誰かを求めている。むしろ自己愛だ。
「那伎……」
 名前を囁き、髪を撫でる。そうしてやると、那伎は目に涙をためて加依の首に抱きついた。
「なんでもしたげる。うち、あにさんのためやったら、なんでもできるもん」
 涙声で必死に言葉を紡ぐと、那伎は加依に唇を重ねた。生温かく濡れた感触は、加依の張り詰めた心に、雨のように染みた。