THE FATES

7.繋鎖(20)

 三日後、長は踵をかえすように前線へと戻った。
 加依は長が滞在していた三日間、とり憑かれたように設備の点検や直属部隊の管理を行った。やるべき仕事は膨大で、眠る時間もほとんどなかった。
 特に、長の直属部隊にできた欠員には頭を悩ませた。当然選りすぐりの兵士で構成されているため、見合った代わりなどなかなか見つかるものではない。加依は駐屯している部隊をくまなくまわり、能力のある者を探した。
 その途中、部隊の指揮を任されていた男が、不意に不破の名前を出した。
「彼が今どこにいるか、知っているのですか」
 加依は魔界へ来た当初の目的を思い出した。
 男は目が出っ張っていて、いつも驚いているように見える顔をしていた。
「うちに合流指令を届けてくれたんです。若さん、あの人を探してはるんですか」
「ええ、できれば俗界へ帰してあげたいんです」
「それやったら心配はないと思いますよ」
「え」
 加依は首を傾げた。
「どういうことですか。もしかして、彼はもう帰っているんですか」
「無事に船がついてたら、我々の部隊がここへ合流した頃には、俗界へ戻ってはるはずです」
「そうだったんですか」
 加依はさきほど渡された記録簿に目を落とす。帳面には、十五日前に合流したと記されていた。
「部隊はクル=ヴィストにいたんですよね」
「そこよりもう少し西側でした」
「だったらどんなに急いでも……ここまで三日」
「いや、怪我人がおったんで、倍かかりました」
「そうですか」
 不破が男の部隊に指令を届けたのは、二十日以上前ということになる。
 まさか船が事故に遭ったのかと最悪の想定をするが、そのような噂も報告も心当たりがない。
 鉱石燃料の貿易船は魔界にとっては命綱だ。航行には細心の注意を払い、飛行に長けた者を護衛につかせる。もしも賊に襲われたり、座礁したりすれば、即座に連絡が入るようになっている。加依は兵舎へ入っている報告を一晩かけて目を通したが、それらしい報告はひとつもなかった。
 ならば船は、十五日前にはアシリカの港へ入っているはずだ。
 十五日前といえば、まだ由稀らもこちらにいた頃だ。もし不破がその時には俗界へ戻っていたというならば、なぜアシリカの宮殿へ顔を出さなかったのか。
 加依は記録簿にじっと目を置いて、黙り込んだ。黄ばんだ紙面に、不破の人好きする面差しが浮かんだ。親しみやすく、気兼ねしない男だった。人のことを知りたがるくせに、思いのほか深入りしない。まるで好奇心旺盛な振りをしているきらいもあった。だが何より、笑顔の印象が強かった。頬に刻まれる笑い皺と、覗く八重歯が無防備で、芽生えかけた猜疑心はすべて取り払われてしまった。
 なぜ不破は宮殿へ立ち寄らなかったのか。弓菜のように事情があるにせよ、港と目と鼻の先にある宮殿へ戻らないはずがない。
 彼はまだ、青竜と久暉のことを知らないのだ。
「あの……」
 考え込んだ加依に向かって、男が小声で切り出した。加依は笑顔で取り繕う。
「ああ、すみませんでした。隊員の補充については、またあとで」
「そうやないんです。あの、若さん。今からする話は、ここだけのもんにしてもらえますか」
「はい?」
「不破さんのことなんですけど」
「どうかしましたか」
 男は辺りを見渡して人がいないことを確認すると、声をさらに潜めた。
「あの人、ちょっとおかしかったんです」
「具体的には」
「なんや、一人で喋ってることがあって……。気色悪いというか、別人みたいやったんですわ」
「別人、ですか」
 不破ならば、そういった演技もできたかもしれない。どこか浮世離れしていて、現実になど興味のない素振りを見せることがあった。そういうところが自分と似ていると思っていた。
「あの人は若さんと同じで、魔族の混血なんですよね」
「そう聞いています」
 不破の訛りは俗界育ちと思えないほど自然で、身内に魔界育ちがいたことは容易に想像できた。
 男は加依の返事を受けて、顔を曇らせた。
「実は、うちの若いのに東の部族出身の、ちょっと鋭いのがおるんですが、そいつが言うにはね、あの人は混血やないって」
「どういうことですか」
 加依は眉をひそめた。
「魔族のにおいがせんとか。私もね、最初はまともに取り合ってなかったんですけど、あんまり真剣に言うもんですから……。それに、別人のときのあの人の、俗界訛りを聞いてしもたら、あながち間違ってないんかなって」
「その隊員は?」
「おりますよ。呼んできましょか」
「そうですね。あとで補充の連絡に来ますので、またそのときに」
「わかりました」
 男は頭を下げて、立ったままで略式の礼をした。加依は礼を返し、背を向けて歩き出す。
 頭の中にいくつもの情報が点在した。だがそれを繋ぐ線を加依は持っていない。不破の素性など自分には関係のないことだと思いつつ、無視し切れない自分がそこにいた。
「あの、若さん」
 呼び止められて、加依は振り返った。男は驚いたような顔をしながら口を引き結ぶ。
「どうしました」
「あんまり無理せんとってくださいね、若」
 誠実な眼差しに、加依の心が冷えていく。
「大丈夫ですよ。ありがとうございます」
 隅々まで気を配った笑顔を返す。完璧な微笑みは、完全なる拒絶だった。男はそれを知らない様子で安堵の色を浮かべ、もう一度礼をした。
 今度はそれに応えずに、加依は次の部隊へと足を向けた。

 長を見送り、加依は那伎とともに村へ戻った。
 その夜は叔父夫婦の家に呼ばれ、夜明け前まで酒盛りに付き合わされた。酒は苦手ではないが、好きではなかった。酔っ払いはどれも醜く、また酔いがまわることで自分が自分から離れていく感覚が恐ろしかった。
 叔父夫婦や親族が酔いつぶれるのを待って、加依は外へ出た。服や髪には酒のにおいがこびりついていたが、明け方の澄み切った寒さがそれらを凍らせてくれた。
 庭に向けて置かれた、木の皮を編みこんで作った椅子に腰かける。庭には大きな石が転がっている。なかには岩ほどの大きさのものもある。どれも山から切り出してきたばかりの、鉱石を取り出す前のものだった。叔父は鉱石から地毒を取り除く技術を確立させ、今も作業場の指揮を執っている。そのため昔からこの家の庭は石で埋め尽くされていた。
 よく見ると、どの石も色味が異なっていた。おそらくそれぞれ違う場所から掘り出したものなのだろう。今ある鉱脈はほぼ枯れかかっている。新しい鉱脈を探り当てることは急務だった。
 魔界の山々には、俗界にはない鉱石燃料が数多く埋もれている。だがすべての山にあるわけではない。
 加依は薄闇の中で鎮座する石を眺め、叔父には申し訳ないが、この中に鉱石が入っていないことを望んだ。
 空に向かってため息を吐き出すと、まだ闇の名残を湛えた藍色に、頼りないほど白い息が浮かび上がった。
 村へ戻る前に、加依は東の部族出身で祈祷師の息子だという男から不破の話を聞いた。
 男がいうには、血はそれぞれのにおいを持っているのだという。魔族には魔族の、人間には人間の、竜族には竜族のにおいがあり、彼の母親などはあまたある魔族の部族ごとの違いもわかるらしい。彼にはそこまでの力はなかったが、魔族かどうか、純血か混血か程度のことならば、容易に嗅ぎ分けられるとのことだった。
 その彼が言ったのだ。
『不破ゆう人は、魔族でもその混血でもありません。あん人は、純血の人間です』
 彼の言葉には嘘が感じられなかった。そもそも彼が加依に嘘をつく理由が考えられない。能力の精度を問うより前に、彼の言葉は加依のなかにずっとあった違和感と結びついた。
 俗界での魔族の地位は低い。獣族と混同され、人として扱われないことも多々ある。その中で、不破はあえて魔族訛りを通していた。情報屋という仕事では、出自などそれほど気にされないだろう。不破の特殊な聴力をうまく説明するためには、むしろ魔族だと公言する方がよかったのかもしれない。だとしても、加依は釈然としなかった。
 なぜ不破は、魔族の振りをしているのだろう。
 俯くと、後ろで束ねていた髪が胸の前へ滑り落ちた。夜明け前の薄明かりの中、淡い翡翠色がぼんやりと輝いている。
 不破の髪や目は、木の実の殻のような色をしていた。魔族には珍しい色だった。思えばあの訛りの他に、彼には魔族らしいところがない。
 一体、何のために。
 ひとつの嘘は他の嘘を意味することがある。不破の嘘が、何かもっと他の嘘のためのものならば。
 魔族であると言うことで、隠せるものがあるとしたら。
 あえて自分の不利になるような嘘をつくのだ。その向こうにある嘘は、きっとずっと大きいものなのだろう。だとすれば、通り一遍の付き合いしかしていない加依に、わかるはずもない。
 もしかしたら本人は魔族だと思い込んでいるかもしれない。加依にはその可能性を否定することはできない。
 考えは巡るが、ただ巡るだけで落ち着くところがなかった。
 すぐ横の扉が外を窺うように薄く開いた。
「あにさん、ここにおったんか」
 眠そうな目をこすりながら、那伎が顔を出した。彼女は酒盛りの場に途中までいたが、叔父に促され先に床に就いていた。
「お父さんら、完全に潰れとったわ」
「叔父さんに、少しは控えるよう言わないと。昔のようには強くない」
「あれはあかんよ。ゆうても聞かへん」
 那伎は加依の隣に腰かけて、加依がしたように空に向かって息を吐いた。
「まだ寒いなあ」
「寝起きだろ。部屋に入った方がいい。風邪をひく」
 邪魔だから一人にしてくれとは言えず、心にもないことを言った。那伎はそれを見抜いているのか、いないのか。どちらともわからない上目遣いで加依を見上げた。
「ほな、あにさんも一緒に入ろうな。寒いのはあにさんも一緒やろ」
「俺は平気だよ」
「嘘ばっかり」
 那伎は加依の頬に手を添わせた。
「冷たいほっぺた」
 乾いた頬に触れる那伎の手は、ぬるま湯のように温かい。思わず、浸っていたくなる。
 那伎は加依の頬を撫で、髪を梳き、耳朶に触れた。
「なあ、あにさん。うち……」
 そこまで言って、那伎は小さなくしゃみをした。
「ほら、早く戻ったら。体があたたかいから、一層冷えるんだよ」
「や、いやや」
 加依の腕を抱きこんで、那伎は離れようとしなかった。加依はあからさまな嘆息をこぼす。
「いい子だから聞き分けて。俺は叔父さんに責められるのはごめんだ。俺のためなら、なんでもできるんだろう」
「それは、せやけど……。やったら、家に戻らんとお屋敷まで一緒に連れてって。あにさん、お屋敷に帰るつもりやったんやろ。次起きたときにあにさんがおらんかったら、うち、寂しいわ」
「屋敷はすぐそこだし、帰ったからって、会えなくなるわけじゃ……」
「そんなん、わからへんやんか。だって、こないだかて、そない言っていなくなったんよ」
「ああ。そう……だったかな」
「せや」
 立ち上がった那伎は、椅子の上に膝立ちになって加依に抱きつく。
「おねがい、あにさん」
 少女の吐息が首筋を掠める。加依は頭の隅で蠢く苛立ちを、瞬きひとつで飲み込んだ。
「じゃあ、部屋まで一緒に行くよ。那伎が寝るまでそばにいてあげるから。それでいいね」
「うん!」
「いい子だ」
 加依は那伎の手から逃れて立ち上がった。
 愛を求める那伎に用はなかった。