THE FATES

8.驟雨(9)

 天水の砂漠を、ゆったりとした足取りで隊商が進んでいた。荷車を牽く馬が砂を巻き上げ、淡い色合いの煙が風に流れる。交易日を目指して旅を続けてきた商人らは、市街の外で天幕を張って日数を調整した。
 交易日には、市街の門に旗が掲げられ、小屋に役人が待機する。隊商はそこで荷物の検査と街へ入る手続きを済ませ、ようやく品物を運びこめるのだった。
 掲げられた天水王家の旗を確認して、隊商は天幕を片付けた。旅のあいだに溜まった疲れも、旗を前にすると吹き飛ぶようだった。
 小屋のそばにはすでに他の隊商の姿がある。自然と気持ちは逸った。今回はどんな品物が高く売れるだろう。馴染みの客は元気だろうか。滞在日数は五日間と限られているが、工場区で作られたものではない、天然の食材や工芸品は人気があり、いつもすべて捌けてしまう。商人として心が踊るのも無理はなかった。
 ともに旅を続けてきた家族や仲間に声をかけ、荷車の紐を締めなおして商人は立ち上がった。
 そのとき一団の前方から声があがった。
「だ、誰だ!」
 声の様子から尋常ではない。商人は砂に足を取られながら慌ててそちらへ向かった。
 そこにいたのは、ひとりの男だった。服装から、蓮利朱(れんりしゅ)と推測できる。商人は声を上げた弟の前に立ち、にこやかに微笑む男を見据えた。
「何用かな」
「ただの通りすがりです。少し、気になることがあってね。まあ、そんなに警戒しないで。大丈夫、危害を加えるつもりはないから」
 男は低すぎない声で軽やかに笑って、黒髪にくくりつけた朱色の綾紐を揺らした。
 隊商を襲う強盗のたぐいは後を絶たない。だが武術と縁遠い蓮利朱が、しかもひとりで盗賊をしているなど聞いたことがない。商人はさらに一歩前へ進み出て、男の顔をじっと見つめた。
 男は麦色の瞳をやわらかく細めて、常に笑顔を浮かべていた。容姿に特に目立ったところはなく、体つきも戦いに長けているようにはとても見えない。
「蓮利朱の人かな」
「はい」
「気になること、とは」
「ひとつだけ」
 男は人差し指を立てて、それを商人の背後へ向けた。
「あなたの一団は、何人ですか」
「はあ。私を含めて十五人だが、それが何か」
「十五人か。へえ」
「言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれないか。我々も暇じゃない」
「じゃあ、率直に」
 優しげだった微笑みが一瞬で消える。男は朱色の綾紐を指に巻きつけた。
「十七人、いますよ」
「え……?」
 商人が振り返った瞬間に耳をつんざくような爆音がして、うしろにいた弟の首が吹き飛んだ。あっと思ったときには、商人の命も断ち切られていた。
 その場には十五の死体を挟んで、一人と二人が向きあった。

 爆音の直前、凍馬は一帯に結界を張り巡らせた。その範囲は市街の門のきわまで及んでいた。凍馬は小屋へ意識を向ける。そこにいたはずの役人や商人らは、すでに絶命していた。救えなかったことは残念だったが、それならそれで、気遣うことは少なくて済む。
 凍馬は足元に転がってきた商人の首を身軽に飛び越えて、外套に身を包んだ二人へと近づいた。目深にかぶったフードから耳飾りが覗く。女だ。
「君たち、ずいぶん乱暴だね」
「よくも邪魔をしてくれたな」
 紅をひいた唇が、忌々しげに歪んだ。凍馬は生々しい敵意に、朗らかな笑みで返した。
「目的は市街への侵入といったところかな。ねえ、それは何のため。誰の指示だろう」
「今ここで死ぬ貴様には関係のないことだ! ゆくぞ、桂雷(けいらい)!」
「はい!」
 二人は外套を脱ぎ去り、それぞれに構えた。背が高い細身の女は刃のついた刀を両手に握り、腕に沿わせた。もうひとり、桂雷と呼ばれた女は、腕をいっぱいに突きだして足を踏ん張った。
 そのとき、結界の外では移動法の気配があった。瞬のものだ。どこへ行ったのか凍馬に知るよしはないが、急ぎであることは容易に想像できた。
 凍馬は綾紐を手放して風に任せた。空をすべる蛇のように、朱色の薄布がたなびいていく。その行く先を目で追って、凍馬は口元だけで微笑んだ。
「いいよ、かかっておいでよ」
「神雷降臨!」
 桂雷が幼さの残る声で叫ぶと、突きだしていた腕には雷が巻きついた。行き場所を求めて伸びた雷の指先が、いくつにも分かれて弾ける。目の覚めるような黄色い雷は、威勢こそいいが底力に欠けた。
「雷術には慣れっこなんだよね」
「こちらにもいるぞ!」
 上空に影が差す。顔をあげると、背の高い女が凍馬の真上で刀を構えていた。
跳芭(ちょうは)さん、いきます!」
 二人は攻撃のときをあわせて、凍馬の逃げ場をなくそうとしているようだった。桂雷が腕に巻きつけた雷をさらに増幅させて、解き放った。奇声をあげて、跳芭も凍馬へと飛びかかる。
 凍馬は冷たい笑みを崩すことなく、ただじっと、風に預けた綾紐を見つめていた。その綾紐が向かい風にふと立ちどまり、まっすぐ砂に突き刺さる。
「捕縛、抹消」
 凍馬の言葉を受けて、綾紐の突き立った場所から放射状に光の縄が広がった。
「そんな!」
 縄は桂雷の術を縛りあげ、腕もろとも地面に縫いつけた。青白い光を帯びた縄はじわじわと桂雷の腕に食いこみ、やがて隙間からは息絶えた術の煙があがった。
 宙に跳んでいた跳芭は、上空で体をかわしていたが片腕を絡め取られて地上に落ちた。さらに拘束しようと伸びた縄から逃れるため、彼女は捕らわれた腕を切り落として、うずくまる桂雷のそばへ引いた。
「無事か、桂雷」
「跳芭さん……、すみません」
「いい。じっとしていろ」
 腕から落ちる血を押さえ、跳芭は顔を引き攣らせた。
「蓮利朱ごときが、よくもやってくれたな」
「あはは、ごめんね。でも腕を切ったのは君だ。俺はそこまでするつもりなかったよ」
「黙れ!」
「せっかくだし、もっと罵倒しやすいようにしてあげようか」
 凍馬は首をかしげて微笑むと、空色の綾紐をほどいて息を吹きかけた。ゆらゆらと風に揺れていた綾紐は一瞬で刃物のように反りかえる。それを勢いよく振ると、凍馬の手の中で綾紐が五つに増えた。どれも剥き身の刃の鋭さを備えていた。
「ねえ、誰の指示で来たの」
「なぜ貴様にそんなことを言わねばならん」
「それは君自身の保身のため、だよ」