THE FATES

10.絶景(6)

 交易日の天水市街は華やかな賑わいに包まれていた。人通りが多く、あちらこちらから聞きなれない方言が聞こえてくる。絆景の通りまで出ると、見慣れない装束の一団が店のおもてで食事をしていた。それだけで、知らない街へ来たような気分になる。
 瞬は隊商を見つけては、どこから来たのかを荷物や装束から探った。わからないときは、由稀に訊きに行かせた。
深終(みはて)の村からだって」
「そうか」
「さっきから何。誰か探してるのか」
 由稀の問いには答えず、瞬は眼鏡をかけ直した。返事がないことに一言文句を言って、由稀は先を歩きはじめる。その背中に、瞬はその通りだと呟いた。
 数日前、凍馬の気配が天水から消えた。それだけなら瞬が気にかけることではない。だが凍馬はそれ以前から、市街の周辺を日課のように歩いていた。彼が意味もなくそのようなことをするとは思えない。何か理由があって巡回していたはずだ。そして彼はその最中に消息を絶った。
 隊商に蓮利朱がいないかを探す。いれば、凍馬のことを尋ねたかった。薬草を扱う蓮利朱なら必ず交易に訪れているはずだが、絆景には来ていないようだ。
 凍馬の強さは、瞬がよく知っている。何か事件に巻き込まれたのだとしても、彼が負けるはずがない。瞬は子供のころ、追いかけっこで凍馬に勝てたためしがない。どんな卑怯な手を使ってでも、凍馬は必ず逃げ延びる。
 一体何があったのか、そしてどこへ行ったのか。その手がかりはひとつとしてない。あとは信じるしかなかった。
「おーい!」
 道向こうから、駆け寄ってくる少年の姿があった。耶守(やす)だ。彼は瞬と由稀に気付くと立ち止まって、大きく手を振った。由稀がそれに応えて手を振り返す。
「おはよう」
「早くない。もう昼」
 耶守は腰に手を当てて、顎をそらした。由稀が謝りながら耶守の頭を撫でる。しかし耶守は由稀の手を払いのけて、軽く睨みつけた。
「それが遅れて来たやつの態度かよ」
「これには色々と大人の事情がね」
「何だよ、事情って」
「ほら、交易日だし」
「ふうん」
 訝しげに目を細め、耶守は続けた。
「はじめての交易日でもないのに?」
「う。鋭い……」
 耶守の正論の前に、由稀は黙りこむしかなかった。助けを求めるように瞬を振り返る。どうも最近の由稀は悪乗りが過ぎる。
「すまない、遅れた」
「何かあったのか」
「少し」
「俺、調べてやるよ」
「いや、もう少しこっちでやってみる。どうにもならなくなったら、その時は頼む」
 瞬が耶守の頭に手を乗せると、彼はかすかに眉を寄せて微笑んだ。
「待ってるからな」
 耶守との連絡はすべて梅詩亭を経由して行っていたので、実際に会うのは仁支(にし)が死んだとき以来だった。頼られたい気持ちを隠さない耶守を見ていると、瞬は胸が痛んだ。
 できれば耶守を頼りたくはなかった。多くの墓守の民にとって、鬼使は身内を殺した憎い相手だ。これまでは仁支という後ろ盾があったため、耶守が直接的に妨害をされることはなかっただろう。だがその仁支がいなくなった今、耶守を守ってくれる者はおそらくいない。まだ幼い耶守の立場や将来を思うなら、これ以上はもう関わるべきではない。今日を最後にせねばならない。
 瞬は耶守の背中を押した。
「行こうか、地下水路へ」
 絆景と桟楽を繋ぐ地下水路は、かつては墓守の民が、そして今は絆清会が管理をしていた。入口は絆景の中心街からやや外れたあたりにある。外観に変わったところはない、煉瓦造りの建物だ。だが扉をあけると、そこには地下へおりる階段があるだけだった。
 その階段の両脇に、体の大きな男が二人立っている。右側に立っていた男が進み出てきて、道を塞いだ。
「誰だ。総統からの許可はあるのか」
「許可だってさ」
 いちばん前にいた耶守が瞬を振り返る。絆清会へは連絡を入れておいたはずだ。横にいる由稀を眼鏡の隙間から見やる。
「伝えたよ、十和に。清路からの返事も受けた」
 視線を受けて、由稀は正面を向いたまま低い声で言った。
 瞬は見張りが向ける好奇の眼差しに気づいて、ため息をこぼした。
「つまり身を明かせと」
「そういうことだ。お前が鬼使である証拠を見せてもらおう」
 昔の瞬ならば、男が言い終える前に斬り伏せていたかもしれない。だがせっかく落ち着いている街の均衡を、むやみに壊すつもりはない。瞬は仕方なく、眼鏡を外した。伏せていた目を上げる。眼鏡に遮られることのない世界は、色も光も鋭く眩しい。
 見張りがもらした感嘆は、恐怖のためわずかに震えていた。
「本当に本物かよ……」
「これでも信じられないなら」
 瞬は男へ近づいて、肩に手を置いた。耳元へそっと囁く。
「殺されてみるか」
 男は短く悲鳴をあげた。
「ま、まさか。信じる、信じるぜ」
「ありがとう」
 やわらかく微笑んで、瞬は男の横を通り抜けていった。うしろから、由稀と耶守が笑いながらついてくる。
「まるで見世物だな」
 追いついてきた二人の顔を見遣って、瞬は思わず呟いた。
 薄暗い階段をおりていくと、次第に風が冷たくなった。霧のなかを歩くように、肌に水気が吸いついていく。瞬は大きくひらいた襟を寄せた。
 かつては階段にまで水が満たされていたのだろう。途中から角が丸く削られている。石段には水泡のように細かな穴があき、踏みしめるたびに脆くたわんだ。瞬は最後の一段を飛ばして水路の入口に立った。
 青い光が、足元から水路を照らしている。夜を薄めて湖に浮かべたような、清浄な青の光だ。
 灯りのようなものは置かれていない。もちろん外の光も入ってこない。光っているのは水そのものだった。
「すげえ」
 由稀はおりてくるなり水路へしゃがみこんで、水を両手に掬った。
「飲むなよ」
「なんで」
「ここはもうずっと昔に封鎖された水路だ。いくらお前が頑丈でも、飲めば無事ではいられないだろうな」
「それもそうか」
 残念そうに水を撒いて、由稀は大きく手を払った。光を孕んだ水が、飛沫になって暗がりに飛び散る。青い火花のようだ。
 水路は広く、まっすぐ青い光が伸びている。途中には脇道がいくつかあったが、どれも鉄柵で塞がれていた。
 どこからか、水の滴る音がする。水路の鼓動のようだ。それを掻き乱すように水の中を歩き、瞬は行き止まりを目指した。青い光に導かれて歩いていると、夜空を渡っているような浮遊感があった。冷たく寒く、閉ざされた場所ではあったが、それがかえって美しかった。流れを知らない水は澱むどころか青く澄み渡り、息をひそめている。それは雪解けを待つ少女の横顔のようだった。
 ふと羅依のことが思い出されて、瞬は彼女にもこの景色を見せたいと思った。