THE FATES

10.絶景(10)

 絆景を全速力で走り抜けて、大通りへ向けて機体を傾ける。その隙に周囲へ視線をめぐらせたが、追跡者の気配はひとつとしてなかった。身軽になったスウィッグの速さについてこられなかったのか、それとも初めから羅依が狙いだったのか。どちらにせよ、追っ手はすべて羅依へついた。紅は来た道を睨みつけ、脇道を突き進んだ。
 大通りは役人が多いため、一度速度を落としたが、そこを抜けると紅は再び限界まで握りをひねった。
 足元にひっかけた袋が揺れにあわせて膝に当たる。羅依のそばにせめて真小太がいてくれたなら、こんなに心細くなることもなかっただろう。
 相手は五人と羅依は言った。紅は何度か鍛錬に付き合わされたことがあり、羅依の強さはよく知っている。型通りの紅とは違って、彼女には賞金稼ぎで培った経験と天性の発想力がある。くわえて腕力を補うだけの速さと、しなやかな剣さばきも持っている。しかし一対五で戦ってどこまで通用するか、それはまた別の話だ。
 さらに、絆景の裏道は複雑だ。羅依が知らない道も多いだろう。ひとりで外出することがないせいで、彼女は道に疎い。うまく撒いて絆清会まで辿り着けるのだろうか。
「くそっ」
 操縦する手がかすかに震える。今からでも戻った方がいいのではないかという思いが頭をよぎる。なぜ二手にわかれた。なぜ羅依をひとり残した。二人で桟楽へ向かえば良かったではないか。なぜ、なぜ。そればかりが紅の思考を占めた。
 半ば暴走したスウィッグはいつしか博路も住宅街もすぎて、紅のかつての学び舎へと差しかかっていた。交易日には休校するので、学区はすっかり静まり返っている。街の喧騒は耳に遠い。
 やがていくつかの居住区を過ぎ、夕天橋の欄干が見えた。紅は速度を落として桟楽を見渡す。だが風と乾燥で傷みきった家屋が雑多に並んでいるだけで、人影などほとんど見えない。橋の中ほどまで進んだところで紅はようやくスウィッグを停めて、橋から身を乗り出した。
「おーい!」
 しかし返事はない。予想していたこととはいえ、つい舌打ちがもれた。衝動的にスウィッグで飛び降りようかと考えるが、桟楽の結界に弾かれることは目に見えていた。
「どうしろってんだよ……」
 呟きは誰に聞かれることもなく、風に散る。紅はスウィッグにもたれかかって、ため息を落とした。その拍子に真小太の食事を入れた袋が、鉤から外れて地面に落ちた。
「やべっ」
 袋から中身が飛び出し、紅は慌てて拾いあげた。しかし羅依の薄布が指先を逃れて風に持っていかれる。
「あ……」
 為すすべなく薄布が運ばれていくのを見送り、紅はその場にしゃがみこんだ。薄布がゆらゆらと飛んでいくのを見つめる。濃い青紫に染め抜かれた薄布は、やがてあばら家の屋根に引っかかり、その場で風と踊った。
 それを見遣って、紅は眼鏡の奥の瞳をしばたかせた。
 桟楽に結界があることは事実だ。脱走者が出ないように厳重な結界が張られていると、幼いころから教わってきた。しかし入ることが容易いとは思いもよらなかった。
 ただ、それでも桟楽へ入るのは躊躇われた。自分の身分とこの瞳は、桟楽に対してあまりに刺激が強すぎる。紅は眼鏡を押さえて、ぎりぎりと奥歯を噛みしめた。
 もしも鏡を介して瞬に伝えることができたなら。自分に鏡を操るだけの力があったなら……。
 波に揺られるように、橋が上下した。大型の荷車が工場区から街へ向けて出発したのだ。紅は膝を抱えて、徐々に近づいてくる荷車をぼんやりと見つめた。二頭立ての荷車には花が積まれているようで、揺れにあわせて花びらが舞い上がった。
 紅は花びらを目で追っていたが、閃きにやおら立ち上がった。つまずきながら、馬の前に飛び出す。
「止まってくれ!」
「あ、あぶねえな!」
 御者の男が声をあげ、手綱を強くひいた。驚いた馬が前足で宙をかいた。
「いきなり飛び出してくんじゃねえ! 死にたいのか!」
「なあ、おっさん。花売ってよ!」
「はあ?」
 男は薄い眉をひそめて、紅の身なりを上から下まで値踏みした。
「売るのは構わないが、子どもが買える代物じゃないぞ」
「いいから全部、ここにあるの全部俺に売ってくれ!」
 紅は御者台にのぼると、手持ちの金を男の手に握らせた。機械の部品を買おうと持ち歩いていたものだ。一般的な家族が数ヶ月暮らしていけるほどはある。男はあまりの大金に目を丸くしたまま、魚のように口をぱくぱくとさせた。
「ま、まいど……」