THE FATES

11.狂気(9)

 青竜を捜すため急いで梅詩亭を出ると、紅がスウィッグの整備をしていた。十日前の墜落で無残な姿になっていた機体が、すっかり元に戻っている。
「直ったのか」
「まあ、なんとか。試験走行はまだだけど」
 鼻歌をまじえながら、紅は配線をつなぐ。機体の内側は人の筋肉のようだった。由稀は操作盤に手をのせ、首をかしげる。
「じゃあ、これからか」
「そうしたいところなんだけど」
 鍵をさして起動させると、水蒸気のように白い煙が吹き出て機体が浮き上がった。無事に動くようだが、紅の顔は冴えない。
「どうした。元気ないな」
「ああ、うん。ちょっと気になることがあるから、城と、あとあいつの部屋に行ってこようかと思ってる」
「気になることとは、なんだ」
 目深に帽子をかぶった久暉が、由稀のうしろから顔を出した。
「ああ、ちょっと回路のことで」
 紅はそれ以上を詳しく話そうとはせず、曖昧な笑顔を浮かべた。由稀も久暉も回路のことでは手伝えない。深く尋ねることはしなかった。
「それより、お前らはそろってどこ行くんだよ」
「うん、それが――」
 由稀が答えようとすると、久暉が服を引っ張った。
「街を案内してもらおうかと」
 久暉は妖艶さすら感じさせる笑みを口元にのせ、由稀の袖をひいた。
「ほら、行くぞ」
「あ、ああ。じゃあな、紅」
「おう、気をつけて」
 紅は久暉の強引さに戸惑いながら、小さく手を振った。
「お前もなー」
 由稀も手を振り返して、すぐに前へ向き直る。久暉の耳元へ口を寄せた。
「なんで紅に言わないんだよ。青竜の行きそうな場所、何か知ってるかもしれないのに」
「本当にそう思うか?」
 前を向いたまま、久暉は声を低くした。由稀は唇を尖らせる。
「紅が何も知らないとは、言い切れないだろ」
「いや、言い切れる」
「なんで」
「知っていれば俺たちが出かける理由に見当がついたはずだし、知っていても教える気がないなら、どこへ行くかなどと訊く意味がない」
「わざと、だとしたら?」
「たしかに。もし紅が慶栖の手助けをしたなら、俺たちが慶栖を探しに行くことを警戒しているかもしれないな。だがそれならなぜ俺たちを行かせた」
「それは、案内って言ったから」
「いまさら街を案内か。下手な嘘だ」
「久暉が言ったんだろ」
「そうだ。わざとばれる嘘をついた」
「え」
「嘘をつく者は他人の嘘にも敏感になる」
 帽子のつばを押さえながら、久暉は由稀を上目遣いに見やった。
「由稀、まだ何が起きたわけでもない。事は大きくしないほうがいい」
「それは、まあ」
「無駄に心配をかけるだけで終わるかもしれない。そうだろう」
 久暉が言うことには一理あった。うまく納得させられてしまったと思いながら、由稀は渋々引き下がる。
「わかった」
 どこへ向かうあてがあるわけではない。街は普段より人通りが多く、見通しも悪い。まずは博路の端まで行ってみることにした。
「交易日は店の中しか知らなかったが、本当にすごい人出だな」
「博路もそうだけど、表の大通りもすごいよ」
「そうか。ではそちらも行ってみたほうがいいかもしれないな」
「え」
「慶栖が何を考えているかはわからないが、俺に何も言わずにいなくなったんだ。おそらく見つかりにくいところにいる」
「なあ久暉。お前は本当に何も知らないのか」
「何も、とはなんだ」
 思惑のかけらも感じさせない、まっさらな瞳に見つめられ、由稀は問いの意義を失った。
「いや、なんでもないんだ」
 久暉が青竜のしようとしていることに気づいているなら、胸騒ぎがするとは言わずに、由稀へ協力を仰ごうともせずに、きっと気づいたその場で青竜を殴り飛ばしているに違いなかった。
 露店で果実搾りを買う。器は果肉をくり抜かれた果実そのもので、皮の内側には瑞々しい果肉部分がまだ残っている。果汁を飲み干し、かぶりついた。
 道先へ視線を向けると、人波から頭ひとつ突き出た男と目があった。互いにあっと声をあげる。
「十和」
「これはこれは、居眠り王子じゃないか」
 両腕に紙袋をかかえた十和は、由稀を見つけるなりにやにやと笑った。居眠り王子と言われて、久暉が話していたことを思い出す。たしか詩桜の買い出しについていったと。
 由稀は片方の眉を歪めて、肩をすくめた。
「詩桜から何か聞かされた?」
「あの撥ねっ返り娘がしょぼくれているから驚いた。腹が減ったのか、悪いものでも食ったのか、おかずを横取りされたのかと、いろいろと訊いてみたんだがな」
「食べるのばっかりかよ」
「どれも違うと言うだろ。殊来鬼だから俺より年上だとはわかりつつも、年ごろの見た目をしたお嬢さんにあの日かとは訊けないしなあ」
 由稀はかじっていた果実を思わず吹きだした。平静を装うこともできず、顔が一瞬であつくなった。十和がさらににやにやと笑う。
「若いうちは寝ても寝ても眠いとは思うが、まあ、彼女が起こしにきてくれたなら起きろよ、少年」
「わかってるよ」
「あと、お嬢みたいな子は、あの日になるとやたら食べるだろうから、そういうときは――」
「あの日の話はもういいから!」
「いや、詩桜はどちらかというと食べなくなるほうだな」
「久暉まで!」
 思わぬ追い討ちに、由稀は声を荒げた。外見は由稀と変わらぬ少年だが、久暉の中身は十和と同年代だ。
「これだからおっさんは。で、その詩桜は?」
 まわりに詩桜の姿はない。十和のうしろを覗きこんでも、やはりいない。
「それなんだがな、実は立ち寄った店で困ったことがあって」
「詩桜に何かあったのか」
「いやいや。店にあった忘れ物に気づいて、お嬢が持ち主まで届けに行ったんだ」
「へえ、それで一緒じゃないんだな」
「そうなんだ。さすがお嬢、店のスウィッグ奪って行ってしまってな」
「は? え、ちょっと待てよ。忘れ物したのって、誰なの。博路の人じゃないのか」
「いいや。交易に来ていた隊商が忘れていったそうだ。せっかく買い付けた商品を置いていったものだから、店のあるじも困っていたよ」
「しかしまだ昼前だ。街にいるだろうに、スウィッグを?」
 久暉の問いに、十和が聞いてくれと言わんばかりに大きくうなずく。
「運の悪いことに、隊商はもう市街を出ると言ってたらしくてな。それを聞いて、お嬢はスウィッグに乗っていったんだよ。いやあ、勇ましかったなあ。だてに俺たち絆清会に楯突いたわけじゃないなあ」
「それで十和は荷物を押しつけられたのか」
「まあ、どちらにしても押しつけられていたがな!」
 わははと胸をそらして十和は笑った。由稀は久暉と顔を見合わせて、荷物へ手を差しのべた。
「ありがとう、梅詩亭までは俺たちが運ぶよ」
「いや、ありがたい申し出だが、請け負ったことは自分でやり遂げたい。たとえ荷物運びでもな」
「俺が寝坊したせいで十和が付き合わされたんだし」
「本当に構わないでくれ。それより、もうすぐお嬢が店へ戻ってくるだろうから、そっちへ行ってやれ。その方がお嬢も喜ぶ」
「でも」
 詩桜と合流すると青竜をさがしに行けなくなる。由稀は久暉を一度振り返ってから、十和を見あげた。
「十和、あのさ……」
「詩桜を迎えにいこう、由稀」
「え」
 久暉の提案に由稀は戸惑いを隠せなかった。
「な、なんで。だってそんなことしたら」
「今朝の詩桜を見ていた私としては、あの子の笑顔が見たい」
「そんなこと言ったって」
 由稀には久暉の思考が読めない。本当に青竜の心配をしているのか。
「青竜のことはどうするんだよ」
「もちろん、さがす」
「だったら」
「お前の憂いを取り除いておきたい」
「それだけ?」
「大切なことだ」
 久暉は空色の瞳を細めて笑った。妙に無邪気で、人を黙らせてしまう支配者の微笑みだった。
「話はまとまったか?」
 つぎはぎだらけの顔で、十和が笑いかける。由稀はため息とともにうなずいた。
「その店ってどこ。教えて」

 十和から店を教えてもらい、由稀は久暉とともに向かった。店は博路の外れにあり、角を曲がれば市街の門もすぐの場所だった。店主に事情を話すと中へ通され、椅子をすすめられた。茶のもてなしを受けながら詩桜を待つ。
 だが淹れてもらった茶が冷めて、新しく注がれた茶の香りがすっかり飛んでしまっても、詩桜は戻ってこなかった。下働きの少女が茶を淹れようとするのを断り、由稀は店の表へ出た。
 門の方角からは、まだちらほらと隊商がやってくる。スウィッグに乗った赤毛の少女を見かけなかったか尋ねるが、返ってくるのは知らないの一言だった。
「由稀、あまりに遅すぎる」
「ああ」
 詩桜には自信過剰で無鉄砲なところがある。どこかで寄り道をしているならいいが、届け物をした先で何か事件に巻き込まれたのかもしれない。
「どうするか決めろ」
「俺が」
「そうだ」
 青竜のことは由稀も気にかかる。だが今は久暉に甘えるしかなかった。
「詩桜を追う」
 思いを口にすると、背中がふるえた。
 久暉は小さくうなずいて、街角で立ち話をしている絆清会の男たちを睨みつけた。彼らのそばには、一台のスウィッグが停まっている。
「あれを譲ってもらうか」
「なるべく穏便に済むといいけど」
「私だって、事を荒らげるつもりはない」
 そう言って久暉が見せた笑顔は、どんなときより無邪気で頼れるものだった。
 由稀は乾いた笑いをもらしながら、久暉よりも早く走り出した。