THE FATES

11.狂気(10)

 拳で交渉して譲ってもらったスウィッグで、市街を出る。久暉は由稀の背中につかまり、辺りへ視線を走らせた。
 門番へ話を聞くと、昼前までに市街を出た隊商はひとつしかなかった。そのため走り去った方角もよく覚えていてくれた。門番が指差したほうへ、由稀はスウィッグの舵をきった。
 振り返っても、もう市街は見えない。延々と続く砂の世界で久暉は目を凝らす。だが広がるのは白んだ砂ばかりだ。荷車が残したであろう轍も、すっかり均されて影すらない。
 肌に吹きつける風は細かな砂を孕んでいた。ひとつひとつは触れたかどうかわからないほどでも、いくつも重なれば痛みになる。
 寄り添った背中から、由稀の焦燥が伝わってくる。彼にはこれ以上、何も失わせたくなかった。
 否、もう誰にも何も失わせたくはない。
 ただ生きているというだけで手足や羽や光までもいでいく運命が憎らしかった。久暉は由稀の背中へ額を押しつけ、短い無言の祈りを捧げた。
「あ」
 由稀が小さく呟いた。久暉は前方を覗く。そこには隊商がとまり、商人や子どもらが集まっていた。店主から聞いていたとおり、赤と黄色の帽子をかぶっている。彼らもまたスウィッグに気づき、会話をやめてなかば睨みつけるように見つめてきた。
 その足元に、久暉は目ざとく血痕を見つけた。
 由稀は一団のそばで砂の上へ飛びおりる。久暉は起動したままのスウィッグに残った。隊商のなかに怪我をしたものがいる様子はない。すでに荷車へ運ばれたのだとしても、周りに誰もいないのは不自然だった。怪我人はここにはもういない。そして詩桜の姿もない。久暉は最悪の事態を想像する。
 商人らの顔には翳りがあり、まだ十代の少年は真っ青な顔をしていた。由稀は商人へ身振りをまじえて話をしていた。少年の母親と思われる女が急に泣き出す。少年の手には弓が握られていた。うつむいて、唇を噛みしめている。由稀は少年の髪を荒々しく撫でて、一礼して戻ってきた。
「どうだった」
「詩桜が連れて行かれた」
 やはり、という言葉を久暉は飲み込む。由稀は商人からもらった水筒を傾ける。口の端から水がひとすじこぼれた。
「久暉、これは俺の勝手な妄想かもしれないんだけど」
 袖口で顎を拭い、由稀は抑揚なく呟く。
「連れて行ったのはもしかしたら青竜かもしれない」
「なんだと」
「荷台から男が飛び出してきて詩桜を連れていこうとしたから、あの子が男の脚を射たらしい。それでも男は詩桜をかかえたままスウィッグで行ってしまったって」
 由稀は渇きに耐えかねたように、話している途中で水を飲んだ。
「ごめん、それが詩桜と知り合いみたいだったらしくて、しかも天水の言葉じゃなかったって言うんだ。背の高い、ひょろりとした男だったとかで……」
 久暉には由稀の歯軋りが聞こえるようだった。
「なあ久暉、俺はそんな男を青竜以外に知らない」
「そうだな。私も知らない」
 由稀の手から水筒を奪い取り、残っていた水を一気に飲み干した。なまぬるい水は、すぐに体の内側との境目を失った。
「あのさ俺、実は久暉に話してないことがあって」
「言わなくていい」
「え」
「話は慶栖から聞けばいい。で、スウィッグはどっちへ行った」
 空になった水筒を由稀へ押しつけて、久暉は帽子を脱ぎ捨てた。由稀はスウィッグへ乗り込んで機首を傾けた。
「飛ばすから、しっかりつかまってて」
 宣言したとおり、由稀は機体の限界まで速度をあげた。

 予感のようなものはあった。
 青卑竜慶栖という男は、まだ何か駒を隠していると。これだけでは終わらないと感じていた。だが久暉は取り合おうとはしなかった。それは分を過ぎる行為だと思ったのだ。彼を信頼していたのだろう。だからこそ青竜を青竜自身に託した。
 青竜がなぜ詩桜をさらっていったのか。それは詩桜が知らせに戻ることを嫌ったからだ。それほど知られたくない何かが青竜にはある。そのためなら、世話になった少女を傷つけることも彼は厭わないだろう。
 最低な男だと、何度も胸のうちでなじった。そんな男を従えていた恥ずかしさから、殺意まで生まれた。しかし不思議と裏切られたとは思えなかった。それでこそ青卑竜慶栖だとまで感じていた。
 目を眇めて灰色の空を見つめる。久暉はかすかに立ちのぼる煙を見つけた。
「由稀」
 指差すと、由稀はうなずいてそちらへ機体を向けた。焦げたような臭いが濃くなり、やがて薄灰色の煙がはっきりと見えるようになる。砂丘をひとつ越えると、窪みには白煙をあげるスウィッグと人がふたり倒れていた。詩桜と青竜だった。
「詩桜!」
 由稀は名を叫んで、スウィッグを乗り捨てた。久暉もまた同時に飛びおりる。由稀は詩桜へ駆け寄って抱きかかえ、何度も名を呼んでいた。意識はないが息はあるらしい。目立った怪我もないようだ。安心したのか、由稀は詩桜の体を抱きしめたまま深くうなだれた。
 乗ってきたスウィッグが砂に突っ込んでとまる。外装の破片が回転しながら飛んできて、久暉の頬をうすく裂いていった。すぐそばでは、詩桜が店から借りたと思われるスウィッグが煙をあげている。白かった煙はいつしか黒くなり、剥きだしになった内部には炎の陰が見えた。無茶な運転をしたのか、操縦を誤ったのか、事故が起きたのは明らかだった。
 まだ新しい血痕が、点々と砂を汚している。それを目で追って、久暉は青竜の背中を睨みつけた。
「慶栖」
 呼びかけても、死んだように動かない。
 青竜が久暉の言葉を聞かないはずがなかった。久暉より先に、勝手に死ぬことも許してはいなかった。
「起きろ、慶栖」
 投げ出された手が、呼応するように痙攣した。しかしまだ起きあがる気配はない。
 久暉は拳を握りしめた。
「青卑竜慶栖!」
 肩が大きく震えて、やがて呻きがもれた。
「ぐ……っ」
 起きあがろうとして砂に手をつく。片腕は折れたのか、だらりと垂れ下がっている。ようやく四つん這いになって立とうとするが、矢が突き刺さったままの脚に阻まれる。青竜は何度か顔面から砂へ倒れこんだあと、観念して座りこんだ。
「申し訳ありません、久暉さま。どうやら立てそうにありません」
 いつもと変わらない口調で、いつもと変わらない眼差しで、青竜は頭をさげた。暑くもないのに汗をかき、息はひどくあがっていた。
「毒か」
「わかりません。目はよく見えるのですが」
「では中をやられたか」
「どう、でしょうね。ああ、そういえばスウィッグに胸を打ちつけたような気がします」
「それでお前のもくろみに支障はないのか」
 久暉の問いかけに、青竜は目を伏せたまま黙りこんだ。
 はじめて青竜に会ったときのことが脳裏によみがえる。あのときも彼はむきだしの黒土に座りこんで何もかも手放そうとしていた。
『貴様に俺の何がわかる。この罪と痛みを』
 重く暗い瞳をしていた。光にかざしても透けない、ぶれない眼差しだった。強い目をしていると思った。
「お気遣いありがとうございます」
 葉が揺れるようにゆらりと青竜は笑った。
「ですが久暉さま、ご心配には及びません」
「ずいぶんな自信だな」
「もちろんです。あなたの手を煩わせるわけにはいきませんから」
 光が寄りつくことのない黒い瞳に、赤黒い炎が映りこむ。あたりには燃料の粘ついた臭いが広がりはじめていた。肩越しに由稀を振り返る。まだ詩桜の意識は戻っていないようだった。
 降り始めの雨のようにぽつりぽつりと青竜が笑いだした。
「何がおかしい」
「いいえ、いいえ。ただ不思議に思ったのです」
 口元を笑みに歪ませたまま、青竜は視線をあげる。
「あなたはいつだって私の邪魔をする」
「いつも?」
「そうです。はじめて会ったあの日だって、私はもう……もう、よかったのに。何も望んでなど。そう、ただすべてを終わらせることだけ望んでいたのに。なのにあなたは、私の唯一の望みを造作なく踏みにじった」
「つまり俺は、いままたお前の望みを踏みにじろうとしているのか」
「ええ。予感はしていました」
 青竜は手に杖を取り出し、尖った先を砂に突きたてた。杖は以前に久暉が見たときよりずっと黒く澱んで、奥深くで蠢いていた。
「あなたは本当ににくらしい人だ」
 ひどく優しい声音で青竜は続ける。
「だからこそ、私はここまで生きてこられた」
「お前の目的はなんだ、慶栖」
「それをわざわざ訊くんですか」
 スウィッグの部品が爆ぜた。焼けた金具が足元にころがってくる。
「私の目的など、あなたのため以外あるはずがない」
 腹の底から押し出すように、青竜は一語一語を噛みしめて話した。
「言ったでしょう、いつだってあなたが私の邪魔をするんです。あなたのための私の指先を、あなたがいつも切り落とす。私はあなたのためにあなたを遠ざけたかった」
「俺のためだと」
「それが私のいのちの鼓動ですから」
 青竜の手が、突きたてていた杖へ伸びる。
「やめろ、青竜!」
 詩桜を腕に抱きしめたまま、由稀が声をあげた。彼は何かを知っているようだった。
「青竜!」
「あなたには関係のないことです」
 杖を握りしめ、青竜はその切っ先を自分の喉へ差し向ける。
「由稀さん、あなたに私をとめられるはずがない。私をとめるものなどありはしない。動き出した術式は、もう誰にもとめられない」
 黒い杖は蛇へと姿を変えてしなやかに青竜の腕に添い、牙をむいた。久暉は反射的に駆け出した。
 手を伸ばせば届く場所に、青竜はいつもいた。どんなに邪険にあしらっても、久暉から離れることなどなかった。まるで生まれたころから彼に見守られていたように、彼とともにあることが久暉の自然だった。
 しかしいま、その手は青竜へ届かない。
 久暉の手が天地の杖をつかんで青竜から引き離すと、道連れのように青竜の肉がちぎれた。
「慶栖……!」
 燃料と血の臭いがまじって、風になった。